大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』(日曜午後8時)で、主人公・金栗四三は嘉納治五郎を慕って熊本から上京する。「抱っこばしてもらいげー、東京へ行くとけ」とのセリフに思わず、「懐かしか熊本弁ばい」と親近感を抱いてしまった。 そういえば同じような感覚を、初めて『日本書紀』を読んだ時にも感じたことがあった。「なしてー?」と不思議に思われるかもしれない。『日本書紀』垂仁天皇2年条の分注として、崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したという。そしてこれが「角鹿(つぬが)」の語源であるとしている(角鹿からのちに敦賀に転訛)。 この「ツヌガアラシト」に遭遇した時に、「これは熊本弁じゃなかとねー」と思わずにはいられなかった。熊本弁で「ツヌガアラシト」とは「角がおありになる人」のことで、まさにそのままの意味である。 専門家は難しい語源的な解釈を試みているが、まわりくどくて核心に至らない。『盗まれた神話』(古田武彦著、1979年)で論証されているように、『古事記』『日本書紀』の神話は、大部分が九州王朝の史書からの盗用、すなわち古代九州を舞台とした記録だったとすれば……。熊本弁で解釈できる言葉があって当然である。そう感じたのは私が初めてではないと思うのだが……。『熊本弁で読み解く日本書紀』みたいな本はないのだろうか。 「一に云う。崇神天皇の世に、額に角がある人が一隻の船に乗って、越の国の笥飯(けい)浦に泊まった。それで、その土地を角鹿というのである。どこの国の人かと尋ねると、意富加羅国の王子、都怒我阿羅斯等と答えた。またの名は于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)という。日本に聖皇がいるという噂を聞き、帰化しようと、穴門に到った時、その国に伊都々比古(イツツヒコ)という人がいて、我はこの国の王だと言ったが、その人となりを見て、王ではないと思い引き返した。道を知らなかったため、島浦を伝って北海(山口県北部の海)より之(穴門)を廻り、出雲国を経てここに到ったのだと語った。…」 (『日本書紀』垂仁天皇2年条) PR |
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