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 昔、当たり前体操ではなく、アブラハム体操という踊りが流行った。「アブラハムには7人の子、一人はノッポであとはチビ。みんな仲良く暮らしてる。さあ踊りましょう。右手……」といった歌詞で、同時に複数の動作を累積していくような内容だったように覚えている。
 アブラハム、イサク、ヤコブの3代はイスラエルの信仰の祖であり、ヤコブの子孫からイスラエルの12部族が増え広がっていった。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と神様が祝福されたことが実現されていったのである。ところが、その後のイスラエル民族の歴史は不信仰の歴史でもある。預言者を通じて真の神に立ち返るよう摂理される(内的刷新)が、それがなされなかった場合には外敵により国が滅ぶ(外的粛清)こともしばしばであった。その亡国の民(ディアスポラ)はどこへ行ったのか。
 イスラエルの失われた10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)については、以前聞かされたことがあった。ダン族が韓国にやって来て檀君神話になったとか、ガド族が日本に来て帝(みかど)になったとか……。

 学問的にはどうかと思っていたが、近年、このことに正面から取り組んだ研究がある。『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』(田中英道著、2019年)という本が出されていることを知り、実際に読んでみた。古墳の分布と出土埴輪についての考察といった物証を背景とした内容にはうなずける部分も多かった。
 1956(昭和31)年、千葉県にある芝山古墳群から大陸系の出土品と共に、たくさんの埴輪が出土した。中でも有名なのは、顎髭を蓄えて帽子をかぶる一連の人物埴輪である。古代ユダヤ教徒の装いは、これらの埴輪に驚くほど似ているという。耳の前の髪を伸ばしてカールさせる「ペイオト」という独特の髪型、顎髭などである。
 また、関東地方からは埴輪の琴や埴輪弾琴像も出土している。日本でも古墳時代にはすでに琴が楽器として使用されていたようだ。琴といえばイスラエルの王ダビデのことが思い出される。
 「神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。」(サムエル記上16章23節)
 古代ユダヤでも琴が演奏されていることが伺える。
 ユダヤ民族が集団的に日本にやってきたのは、イスラエルがローマに滅ぼされた紀元後のことであろうか。田中英道氏は著書の中で「そうした人々の中に、ユダヤ人原始キリスト教徒のエルサレム教団がいて、大秦国(ローマ帝国)から来た秦氏と名乗ってい」たという。九州大学名誉教授・北村泰一氏も当時のシルクロードは緑豊かな、旅の素人でも移動しやすい環境だったと論じている(「タマラカン砂漠の幻の海――変わるシルクロード)。
 だとしても、極東と言われる日本に遠路はるばるやって来た、その動機はどこにあるのだろうか。『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』では太陽信仰と述べられていたが、それだけでは不十分だと感じた。ヨハネ黙示録7章2~8節に次のような記述がある。
 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。 
ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、一万二千人、
アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリ部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二千人、 
シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二千人、 
ゼブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一万二千人が印をおされた。
 キリストの再臨は日出ずる方、すなわち東方の国であるというのが聖書の結論である。さらにヨハネ黙示録14 章では、次のように預言されている。
 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。
 埼玉県行田市の稲荷山古墳からは、115の黄金文字の銘文が刻され、「辛亥年」(四七一年か)の干支を持つ鉄剣と、四絃の埴輪の琴が出土している。この鉄剣に「……今獲加多支(カタシロ)大王大王寺、在斯鬼宮時……」と刻まれた「大王」は、雄略天皇などではなく、栃木県下都賀郡藤岡町字磯城宮に所在する大前神社(延喜式以前の名称を磯城宮という)の地に君臨していたと考えられる(『関東に大王あり ー稲荷山鉄剣の密室ー』古田武彦、1979年)。
 関東地方は前方後円墳の数においても、近畿地方よりはるかに多い。古墳時代における先進地において、ユダヤ人埴輪と埴輪弾琴像が多数出土している事実をどう考えるべきか。祖国を追われたイスラエル民族が東を目指し、たどり着いた地で新しい国家作りの一端を担っていたとしたら……。彼らは日の出る方角に何を見たのだろうか。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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