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    浦ノ内湾に静かに鎮座する鳴無神社(須崎市浦ノ内東分字鳴無3579)。「おとなし」と聞くと、なぜか高橋留美子原作『めぞん一刻』の管理人(音無響子)さんを連想する。るーみっくワールドにはまり過ぎたか。
    鳴無神社は1550余年前に創建されたとされており、九州王朝と土佐国の関係を考える上で避けて通れない。地元でありながら、この日(2018/5/21)初めて足を踏み入れた。
    徳島県から二人組の女性が参詣に来られていたが、社務所に誰も居られないようで、御朱印ももらえず、うわさの水に溶ける(エコ素材)というおみくじも引けない。電話までしていたが、宮司さんは毎月1日と15日にしか見えられないようである。
    パワースポットと聞いて県外から足を運んで下さったのに、「ガッカリ名所」になってしまい気の毒であった。少しでも旅を楽しんでほしいと思い、いくつかのスポットを紹介してあげた。「ここのご利益は何ですか?」と質問されて、すぐに思い出せなかったが、そう言えば縁結びの神様でもあった。あまりお役に立てなかったかもしれないが、これも何かの御縁かもしれない。

    さて、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、別名一言主命(ひとことぬしのみこと)は土佐国一宮土佐神社と同じ祭神であるが、土佐神社は当神社の別宮であったとされている。畿内中心の視点では、一宮である土佐神社が別宮で、西寄りのへんぴな場所にある鳴無神社のほうが本宮というのは理解し難いだろう。
    しかし、九州王朝の使者は豊後水道を船で渡って西からやって来たはずだ。ここは土佐の宮島とも呼ばれる。御由緒にもそのことが伺えるような伝承がある。大神は太平洋岸に上陸されたという。
夏の大祭はお船遊びと称し、大量旗をなびかせた漁船の海上パレードが勇壮に行われ、秋の大祭では神の子の結婚式(チリヘッポ)が厳かに行われる




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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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