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 天神神社は岐阜県瑞穂市居倉にある神社である。旧社格は郷社。倭姫命が滞在した「伊久良河宮(いくらがわのみや)」の跡とされ、元伊勢の一つとなっている。正史『日本書記』や『倭姫命(やまとひめのみこと)世紀』等に次のように書かれている。
 「垂仁天皇の時、倭姫命に命ぜられ、伊賀、近江を経て、美濃の居倉に四年間留まられ、伊勢に遷宮された」
 垂仁天皇から命を受けた娘の倭姫命が天照大神を祀る地を探し、この地にたどり着いたという。それがいつの時代なのか正確には分からないが、その痕跡はあるのだろうか。『岐阜県の歴史』(2000年)を開いても、それらしいことは何も書かれていない。しかし、周辺地図を確認してみると、方八町程度の正方形の土地の北辺中央に伊久良河宮跡が位置し、南辺を古代官道が通っていた。宮殿らしきものがあってもおかしくないロケーションである。
 その跡地に、高皇産霊神・神皇産霊神の天神御二柱を祭神として斉き祀ることから、社号を「天津神神社」と古書に記されている。本来、天神とは学問の神様・菅原道真のことではなく、神代の時代に活躍した天津神のことなのである。相殿に誉田別命、外27柱を合祀する。
 神社境内の奥には、神が宿る御船代石(みふなしろいし)と呼ばれる石が2つ安置されている。その北側に天照大神、西側には倭姫命が祀られている。東側の境内社は愛知県や岐阜県などに多い白山神社のようだ。また付近からは神獣鏡の破片(福富茂直宮司所蔵)が出土しており、古い時代の痕跡を確かに残しているようだ。
 伊久良河宮跡は、伊勢神宮のふるさととして伊勢神宮から尊崇されており、今でもお使いの方が参拝にいらっしゃるという。

<歴史>
 『倭姫命世記』によれば、垂仁天皇10年、倭姫命が天照大神の御霊代を祀る地を探し、淡海国坂田宮より美濃国伊久良河の地にたどり着き、この地に4年滞在したと伝えるが、当神社はこの時伊久良河宮としてこの地に宮殿が造られたのが始まりと伝えられ、また本殿右にある御船代石(みふなしろいし)はその時に天照大神の神輿を安置した跡とも伝える。ちなみにその後、倭姫命は生津から2艘の木船で川を下り、尾張国神戸(現一宮市)にたどり着き、中島宮に滞在することとなる(『世記』)。
 社伝によれば、社殿建立以前は一帯が禁足地とされ、御船代石を憑代に祭祀が行われていたというが、御船代石の周囲からは神獣文鏡6面や硬玉製を始めとする30個余りの勾玉が出土しており、古代の祭祀遺跡であると見られている。
 江戸時代には旗本の青木氏の崇敬を受け、現在の本殿は元禄年間(1688年ー1704年)の造替である。明治以前は「伊久良河宮 天神宮」や「天津神神社」とも呼ばれていたが、明治6年(1873年)、「天神神社」に改称して郷社に列した。



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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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