現代日本における姓の分布を検索できる『名字由来net』という便利なサイトがある。それによると、高知県には物部氏がたったの10人程度。前回論じたように、8・9世紀には香美郡の中心的地位にあって、繫栄していたことが『続日本紀』や『日本後紀』からも伺える古代の土佐物部氏であったが、今や衰亡し、その後孫はわずかしか残っていないということなのだろうか。
また、全国の物部氏について調べると、都道府県別ランキングは次のとおりである。 これは古代氏族である物部氏の出身地や拠点とした地域を反映したものだろうか。また、現在物部姓を名乗っておられらる方々は古代物部氏の後孫と見なしてよいものだろうか? 『ヤフー!知恵袋』で丁度、同じような質問があった。「今いる物部という名字は、古代の物部氏の子孫と考えていいのですか」。ベストアンサーは「だめです。 古代の物部氏の『物部』は『氏』又は『姓(せい)』、今の物部さんの『物部』は名字です」とのこと。「もともと名字は同姓の中でより細かく区別するために生まれたものなので、姓と同じ名字を名乗ったら意味がないから」とも説明されていた。 このことは先だってより、日野智貴氏が警鐘を鳴らしていたテーマである。「近代初期の本姓と古代の氏族」と題する研究発表に触れて、その意味するところがよく分かってきた。日野氏の動機とするところは、次の2点である。 ①古田学派における氏族研究がその必要性を理解されながらも進んでいなかったという事実。 ②古田学派内部において本姓と名字を混同する論文が見られたこと。 誤った研究方法によっては、正しい結論に至ることはできない。日野氏は明治初期の『職員録』に記載されている本姓と名字を対比したところ、本姓と名字が一致しているケースは1%に満たないというデータを紹介している。さらに研究を深めていく必要はあるが、通常「本姓と名字は異なる場合が普通で、一致している方が例外的である」との傾向性は示されたと言えるだろう。 すなわち、現在の物部さんを調べても、古代氏族の物部氏の後孫であるという可能性は極めて低いというわけだ。その多くは古代の物部氏にあやかってつけたか、もしくは居住した地名を名字として名乗ったとするのが一般的なのだ。実際に「物部」という地名は全国にいくつも存在しているし、高知県においても物部川下流に、かつての物部郷に由来する物部地区がある。 そうなると一見、土佐物部氏につながるルートが断たれてしまったかに見える。しかしながら、幸いにも高知県には中世において本姓「物部」を名乗った人々の記録が残っていた。物部を本姓とした一族はどのような名字を名乗り、現在に至っているのだろうか。次回はそのような視点で中世の史料を紐解いてみたい。 PR |
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