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 『「邪馬台国」はなかった』(昭和46年)が出版される時、著者・古田武彦氏も悩んだという。『三国志』全体の中に「壹(いち)」は86個、「臺(だい)」は56個あった。誤謬率の統計的調査を行なったのである。その結果、「臺→壹」の形の誤記は生じていないことが確認されたのだ。すなわち『三国志』の原本には「邪馬壹国」と書かれていて、3世紀の段階では“邪馬台国はなかった”のである。
 商業主義に立つ出版社はインパクトのあるタイトルとして「邪馬台国はなかった」を提示した。しかし、後の時代には天子の居所を意味する至高文字「臺」のインフレーション現象が起きる。『後漢書』における「邪馬台国」の表記がそれである。
 タイトルの「邪馬台国」にカギ括弧が付いたいきさつは、そのような内容だったと聞いている。つまり卑弥呼の時代、3世紀段階では邪馬台国はなかったという限定的な表現を込めたのだ。ではなぜ「壹」という字を国名としたのだろうか。古田氏は「二心(ふたごころ)無き忠誠心」を表す漢字として「壹」を使用したと考えた。

 この考えには反対ではないが、「壹」にはもう一つの意味があるのではないかと最近、考えるようになった。高知県では神に仕える巫女のことを、かつては「佾(いち)」と呼んでいた。『長宗我部地検帳』をはじめ、古い文献には時折り登場する。『魏志倭人伝』に「名を卑弥呼と曰い、鬼道に事(つか)え能(よ)く衆を惑わす」と描かれた邪馬壹国の女王・卑弥呼(ひみか)はまさにこの「佾(いち)」に相当する女性である。邪馬(やま)国の「いち」が治めた国なので邪馬壹国(やまいちこく)と呼んだのではないか。より実態に即した命名のように思われる。

 卑弥呼ならびに壹與の時代はまさに「邪馬壹国」だったのであろう。その後、再び男王の時代に戻ったと考えられるが、そうなると既に「いち」の国ではなくなったことから、邪馬壹国という国名は使われなくなったとするのが理にかなっているように思われる。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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