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 10月25日付高知新聞で土佐清水市の唐人石のことが紹介されていた。4~7m級の巨石がいくつも積み上げられた唐人駄場の巨石遺跡群である。数年前、私が初めて訪れたときはほとんど人も来ないような場所であった。それが最近、高知県の観光案内にも紹介されたりしており、急に訪ねる人が増えたように感じる。観光客に聞くと美輪さんがテレビで紹介していたという。

遺跡案内

 もともと足摺岬といえばジョン万次郎の銅像があり、四国最南端ということで観光スポットになっているところであるが、そこに行く途中の山腹にひっそりとたたずむ遺跡のことはあまり知られていなかった。高知県人に聞いても知らない人がほとんど。「高知県には世界最大級のストーンサークルがある」と言うと「えっ、どこに?」と驚かれる。戦前は列石が残っていたが、戦後公園にするために中の石を取り除いたのだという。行ってみたらキャンプ場になっていた。はりまや橋に勝るとも劣らない、がっかり名所となってしまった。

唐人駄馬

 今でこそ高知県は高知市一極集中になっているが、縄文時代はむしろ西部の中村(現四万十市)や足摺岬周辺が中心地であった。大分県の姫島が黒曜石の産地であり、船での行き来を考えれば地理的条件が整っている。縄文人の生活にとって海洋交通は欠かせないもの。食生活を考えても、山での狩猟より海産物の採集のほうが安定した基盤となる。一説には貝塚は食品工場のあとだったとも言われている。
 さて、船で遠出するときに重要なのが目印である。縄文時代には灯台があったのだろうか? 足摺岬にはなんと縄文時代の灯台が残されているという。先に紹介した巨石遺跡群の中に鏡石と呼ばれる表面を平らに磨いたような巨石がそびえ立っている。その場所から海が見渡せるし、海の方からも台地の上にその石が確認できる。その調査については、昭和薬科大学文化史研究室による『足摺岬周辺の巨石遺構――唐人石・唐人駄場・佐田山を中心とする実験・調査・報告書』(土佐清水市教育委員会発行)としてまとめられている。

鏡石

 まさにこの一帯が魏志倭人伝に登場する侏儒国であり、黒潮に乗って裸国(チリ北部)・黒歯国(エクアドル)に向かう出発点だったのではなかろうか?


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『探訪―土左の歴史』第19号 (仁淀川歴史会、2023年6月)
高知県の郷土史について、教科書にはない史実に基づく地元の歴史・地理などを少しでも知ってもらいたいとの思いからメンバーが研究した内容を発表しています。
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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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