清少納言の『枕草子』第二八〇段「雪のいと高う降りたるを」において、「香炉峰の雪」に関する有名なくだりがある。一条天皇の正室である中宮定子は才色兼備の人で、あるとき「香炉峰の雪いかならむ(どんなであろう)」と仰せになった。お仕えしていた清少納言は、女官に御格子を上げさせて、御簾を高く巻き上げたところ、定子はお笑いになった――という話だ。白楽天の「遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き/香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看る」の詩句を知った上で、中宮様の謎かけに即興で応対した。今風に言えば、とっさの神対応に周囲は「いいね」の評価をしたという。
清少納言は平安中期の女流作家で、この一件は10世紀末頃であるから、あまり参考にならないかもしれないが、当時の日本の知識層は当然ながら中国文学から学んでおり、その影響を受けていることが分かる。8世紀、『日本書紀』の編者についても似たようなことが言えるのではないだろうかというのが、今回のメインテーマである。
始まりは9年前。『日本書紀』に見える「鼠」を九州王朝のこととする論稿「鼠についての考察」を橘高修氏が『東京古田会ニュース』152号(2013年9月)に発表した。さらに論稿「古田武彦の『八面大王論』(幷私論)」(『東京古田会ニュース』189号)においては、信州に遺る古代伝承「八面大王」は九州王朝滅亡期に信州に逃げた筑紫君薩野馬のこととする古田説を解説し、『日本書紀』に見える「鼠」が登場する記事の分析から、この「鼠」とは九州王朝勢力のことであり、「八面大王」の勢力を現地史料では「鼠族」と呼ばれていることを古田説の傍証として紹介した。
清少納言は平安中期の女流作家で、この一件は10世紀末頃であるから、あまり参考にならないかもしれないが、当時の日本の知識層は当然ながら中国文学から学んでおり、その影響を受けていることが分かる。8世紀、『日本書紀』の編者についても似たようなことが言えるのではないだろうかというのが、今回のメインテーマである。
始まりは9年前。『日本書紀』に見える「鼠」を九州王朝のこととする論稿「鼠についての考察」を橘高修氏が『東京古田会ニュース』152号(2013年9月)に発表した。さらに論稿「古田武彦の『八面大王論』(幷私論)」(『東京古田会ニュース』189号)においては、信州に遺る古代伝承「八面大王」は九州王朝滅亡期に信州に逃げた筑紫君薩野馬のこととする古田説を解説し、『日本書紀』に見える「鼠」が登場する記事の分析から、この「鼠」とは九州王朝勢力のことであり、「八面大王」の勢力を現地史料では「鼠族」と呼ばれていることを古田説の傍証として紹介した。
『日本書紀』には、鼠が集団で移動すると、それは遷都の兆しとする記事が散見される。たとえば、大化元年(645)十二月条には鼠が難波に向かったことを難波遷都の兆しとする記事があり、天智五年(666)是冬条には、京都の鼠が近江に移るという記事がある。
『日本書紀』岩波版の注は、「北史巻五・魏本紀」に「是歳二月、……群鼠浮河向鄴」とあって、鄴への遷都の兆としている、と述べている。つまり、『日本書紀』の「鼠が移動する」記事は北史に倣った表現をしていると解説しているわけだが、これだけでは「鼠=九州王朝」とすることはできない。
橘高氏は『日本書紀』中に表記された「鼠」記述については「九州王朝を揶揄した表現ではないか」とし、「鼠」とは「八面大王」のことか、とも指摘している。これに対し、吉村八洲男氏は一志茂樹博士の説を紹介しながら、「鼠」は「ネズミ(不寝見)」であるとし「寝ることなしに、煙火を監視した、軍事組織(システム)」の存在を想定した。いずれにしても新王朝が旧王朝を悪しざまに言うことは、歴史上繰り返されてきたことで、ある面そこに『日本書紀』編纂上のイデオロギーが表れているとも言える。
橘高氏は『日本書紀』中に表記された「鼠」記述については「九州王朝を揶揄した表現ではないか」とし、「鼠」とは「八面大王」のことか、とも指摘している。これに対し、吉村八洲男氏は一志茂樹博士の説を紹介しながら、「鼠」は「ネズミ(不寝見)」であるとし「寝ることなしに、煙火を監視した、軍事組織(システム)」の存在を想定した。いずれにしても新王朝が旧王朝を悪しざまに言うことは、歴史上繰り返されてきたことで、ある面そこに『日本書紀』編纂上のイデオロギーが表れているとも言える。
ここでもう一度原点に立ち返ってみよう。『日本書紀』の編者が参考にしたのは、主に中国の文献であり、中国古典において「鼠」が何を象徴していたかを知ることができれば、その影響を受けたであろう『日本書紀』の「鼠」が指し示すものがより明確になるかもしれない。
碩鼠碩鼠 碩鼠 碩鼠
碩鼠碩鼠 碩鼠 碩鼠
碩鼠(魏風)
碩鼠碩鼠 碩鼠(せきそ) 碩鼠
無食我黍 我が黍(きび)を食う無かれ
三歳貫女 三歳 女(なんじ)に貫(つか)へしに
莫我肯顧 我を肯(あ)へて顧(かえりみ)みる莫(な)し
逝將去女 逝(ゆ)きて將(まさ)に女を去りて
適彼樂土 彼(か)の楽土に適(ゆ)かん
樂土樂土 楽土 楽土
爰得我所 爰(ここ)に我が所を得ん
碩鼠碩鼠 碩鼠 碩鼠
無食我麥 我が麦を食ふ無かれ
三歳貫女 三歳 女(なんじ)に貫へしに
莫我肯德 我を肯へて德する莫し
逝將去女 逝きて將に女を去りて
適彼樂國 彼の楽国に適かん
樂國樂國 楽国 楽国
爰得我直 爰に我が直を得ん
碩鼠碩鼠 碩鼠 碩鼠
無食我苗 我が苗を食ふ無かれ
三歳貫女 三歳 女(なんじ)に貫えしに
莫我肯勞 我を肯へて労(ろう)する莫し
逝將去女 逝きて將に女を去りて
適彼樂郊 彼の楽郊に適かん
樂郊樂郊 楽郊 楽郊
誰之永號 誰か之(もつ)て永号(さけ)ばんや
ここに引用した『詩経』「魏風」の碩鼠は”重税に苦しむ人民の詩”として有名だ。「碩鼠すなわち”大きなねずみ”は、為政者を表している」といった説明が後漢時代の学者・鄭玄によって出されている。ここで風刺されている「為政者」は、トップの権力者のことでもあり、その権力を支える支配機構を指すとも言える。大和朝廷以前(700年以前)に倭国を支配した九州王朝という旧権力の存在に対して、中国古典の表現に倣って「鼠」を当てたと解釈するのはどうであろうか。
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HN:
朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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