ブログ「伊那の谷から古代が見える」で、長野県南部に筑紫神社を発見したとの記事があった。
(前略)
ますます興味が湧いて、また神社へ戻った。
ますます興味が湧いて、また神社へ戻った。
参道で掃除をしていた別の人に御祭神を聞いてみた。
やはり解らないという。
『神主に聞いても解らないし、はっきり言わないのだよ』との事だった。
その帰りに図書館へ廻り、史料を探した。
解ったことは、
筑紫神社 下伊那郡 泰阜村 字宮ノ後 3199
祭神 高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)
相殿 誉別尊(ほんだわけのみこと)(八幡さま)
由緒 不明
実は高知県にも筑紫神社があって、以前チェックしたまま、それ以上の情報がつかめずにいた。『東津野村史 上』(高知県高岡郡東津野村教育委員会、昭和39年)に「筑紫神社 高良神 北川村管の谷 寛文十年(一六七〇)筑紫大権現」とある。長野県下伊那郡の筑紫神社と同系列の神社と思われる。不思議なことに、高知県と長野県には共通点が多く見つかっており、それらは九州とのつながりを示唆するかのようである。
現在、この神社がどうなっているのか。高岡郡津野町北川にある神社のリストに見当たらないので、保留にしたままであった。
そもそも筑紫神社(ちくしじんじゃ)は、福岡県筑紫野市原田2550にある神社で、祭神は「筑紫の神」とされる。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。また天元2年(979年)の官符には住吉神社・香椎宮・竈門神社・筥崎宮とともに筑紫神社に大宮司職を置くという記載がある。
祭神の「筑紫の神」についてはいくつかの説があるが、『筑後国風土記』の記述と関係がありそうだ。逸文に次のような内容がある。
「昔 此堺上 有鹿猛神 往来之人 半生半死 其数極多 因曰人命尽神 干時 筑紫君肥君等占之 令筑紫君等之祖甕依姫 為祝祭之 自爾以降 行路之人 不被神害 是以曰筑紫神」
半分は筑紫の地名説話とも受け取れる内容であるが、ここに登場する甕依姫こそが邪馬壹国の女王・卑弥呼(ひみか)に比定される人物であることを古田武彦氏が『よみがえる卑弥呼』(1987年、駸々堂出版社)で指摘している。九州王朝と無関係ではなさそうだ。
それにしても、大元の福岡県では「筑紫の神」が祀られているのに、長野県と高知県では「高良玉垂命」あるいは「高良神」とし、祭神が異なっているのはどうしたことだろうか。
考えられるケースとしては長野県と高知県に筑紫神社が勧請された時点では祭神・高良玉垂命であったものが、後に福岡県では祭神が置き換わった可能性がある。文化のドーナツ化現象として周辺部に原初的な姿が残され、中心部では本来の姿が失われてしまった状態になっているわけである。とりわけ九州王朝の中心地であればなおさら、大和朝廷の主権下では、九州王朝に関係の深い祭神を祀ることが許されなかったとも考えられる。
また、筑前地方では高良玉垂命が武内宿禰命に置き換わっていると思われる神社がある。なぜ筑前地方に高良神社が少ないのか? 筑紫神社研究というアプローチから新たな展開が見出されるかもしれない。
実は高知県にも筑紫神社があって、以前チェックしたまま、それ以上の情報がつかめずにいた。『東津野村史 上』(高知県高岡郡東津野村教育委員会、昭和39年)に「筑紫神社 高良神 北川村管の谷 寛文十年(一六七〇)筑紫大権現」とある。長野県下伊那郡の筑紫神社と同系列の神社と思われる。不思議なことに、高知県と長野県には共通点が多く見つかっており、それらは九州とのつながりを示唆するかのようである。
現在、この神社がどうなっているのか。高岡郡津野町北川にある神社のリストに見当たらないので、保留にしたままであった。
そもそも筑紫神社(ちくしじんじゃ)は、福岡県筑紫野市原田2550にある神社で、祭神は「筑紫の神」とされる。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。また天元2年(979年)の官符には住吉神社・香椎宮・竈門神社・筥崎宮とともに筑紫神社に大宮司職を置くという記載がある。
祭神の「筑紫の神」についてはいくつかの説があるが、『筑後国風土記』の記述と関係がありそうだ。逸文に次のような内容がある。
「筑後国風土記逸文」
昔、この国境(筑前・筑後)に荒ぶる神がいて通行人の半分は生き半分は死んでいた。その数は極めて多かった。そこで「人の命尽くしの神」と言った。筑紫君、肥君らの占いによって、筑紫君等の先祖である甕依姫(みかよりひめ)を祭司としてまつらせたところ、これより以降は通行人に神の被害がなくなったという。これを以って「筑紫の神」と言う。「昔 此堺上 有鹿猛神 往来之人 半生半死 其数極多 因曰人命尽神 干時 筑紫君肥君等占之 令筑紫君等之祖甕依姫 為祝祭之 自爾以降 行路之人 不被神害 是以曰筑紫神」
半分は筑紫の地名説話とも受け取れる内容であるが、ここに登場する甕依姫こそが邪馬壹国の女王・卑弥呼(ひみか)に比定される人物であることを古田武彦氏が『よみがえる卑弥呼』(1987年、駸々堂出版社)で指摘している。九州王朝と無関係ではなさそうだ。
それにしても、大元の福岡県では「筑紫の神」が祀られているのに、長野県と高知県では「高良玉垂命」あるいは「高良神」とし、祭神が異なっているのはどうしたことだろうか。
考えられるケースとしては長野県と高知県に筑紫神社が勧請された時点では祭神・高良玉垂命であったものが、後に福岡県では祭神が置き換わった可能性がある。文化のドーナツ化現象として周辺部に原初的な姿が残され、中心部では本来の姿が失われてしまった状態になっているわけである。とりわけ九州王朝の中心地であればなおさら、大和朝廷の主権下では、九州王朝に関係の深い祭神を祀ることが許されなかったとも考えられる。
また、筑前地方では高良玉垂命が武内宿禰命に置き換わっていると思われる神社がある。なぜ筑前地方に高良神社が少ないのか? 筑紫神社研究というアプローチから新たな展開が見出されるかもしれない。
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筑紫の神は荒ぶる神?
『釈日本紀』が引く筑後風土記の文面からは、
往来人を半死半生にする荒ぶる神が筑紫の神であって、甕依姫はその神を祀る人であって、筑紫君の祖先と読み取れます。
筑紫の君・肥の君以前の地の神のように見えます。対して『吉山旧記』によると、(九州王朝から)派遣された藤の大臣またの名を武内宿禰またの名を物部の何某が、山桜桃沈淪を退治した後、高良玉垂命となったとあります。
筑紫の神は山桜桃沈淪と同じように思えるのですが、いかがですか。服部
往来人を半死半生にする荒ぶる神が筑紫の神であって、甕依姫はその神を祀る人であって、筑紫君の祖先と読み取れます。
筑紫の君・肥の君以前の地の神のように見えます。対して『吉山旧記』によると、(九州王朝から)派遣された藤の大臣またの名を武内宿禰またの名を物部の何某が、山桜桃沈淪を退治した後、高良玉垂命となったとあります。
筑紫の神は山桜桃沈淪と同じように思えるのですが、いかがですか。服部
Re:筑紫の神は荒ぶる神?
>『釈日本紀』が引く筑後風土記の文面からは、
>往来人を半死半生にする荒ぶる神が筑紫の神であって、甕依姫はその神を祀る人であって、筑紫君の祖先と読み取れます。
>筑紫の君・肥の君以前の地の神のように見えます。対して『吉山旧記』によると、(九州王朝から)派遣された藤の大臣またの名を武内宿禰またの名を物部の何某が、山桜桃沈淪を退治した後、高良玉垂命となったとあります。
>筑紫の神は山桜桃沈淪と同じように思えるのですが、いかがですか。服部
とても興味深い説ですね。検討してみます。なぜ県外の筑紫神社に高良玉垂命が祀られているのか。その事実と整合性がとれるかが問題です。データが少ないので、はっきりした結論は出しにくいですね。
>往来人を半死半生にする荒ぶる神が筑紫の神であって、甕依姫はその神を祀る人であって、筑紫君の祖先と読み取れます。
>筑紫の君・肥の君以前の地の神のように見えます。対して『吉山旧記』によると、(九州王朝から)派遣された藤の大臣またの名を武内宿禰またの名を物部の何某が、山桜桃沈淪を退治した後、高良玉垂命となったとあります。
>筑紫の神は山桜桃沈淪と同じように思えるのですが、いかがですか。服部
とても興味深い説ですね。検討してみます。なぜ県外の筑紫神社に高良玉垂命が祀られているのか。その事実と整合性がとれるかが問題です。データが少ないので、はっきりした結論は出しにくいですね。
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朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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