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 「宝司部」「法司分」「法師分」など、これまで順番に考察してきたが、正直なところ決定打といえる論証はできなかった。まだ何か見落としているものがあるのかもしれない。
 もう一度整理してみよう。現在は「宝司部(ほしぶ)」と呼ばれている地名であるが、古い文書や地図には「法司分」「法師分」などと表記されているものもあった。さらに遡(さかのぼ)って、16世紀末の『長宗我部地検帳』には「ホウシフン(分)」と記録されている。漢字表記は色々と揺れているので、後に好字があてられている可能性があり、後代の漢字表記に引きずられないようにしなければない。とは言え、地名の語源としてよくありがちな「傍示(ぼうじ)」由来も妥当性が低いようであった。
 完全に行き詰ってしまって、藁(わら)にもすがる思いで『国史大辞典』を開いてみた。「ほ」で始まる言葉を探してみると、「保司」という言葉が飛び込んできた。これは天啓なのではないか。「保司」について次のように書かれている。
 「平安時代後期に出現した中世的所領単位の一つである保の管理責任者。保は未墾地の開発申請に基づき国司の認可を得て立てられるが、その際、立保の申請者は国司に任じられ、開発勧農を前提として官物徴収の権限を掌握し、また保内から雑公事を徴収して得分とする権利を与えられた」
 この保司得分、つまり「保司分」が「ホウシ分」、そして「宝司部」地名となったのではないか。これまで「宝司」「法司」などの漢字に引きずられて思い至らなかったが、音で当てはめたとき「ホウシブン」とも読め、現在「ほう」と伸ばさずに「ほしぶ」と呼ばれていることと良く符合する。「宝」や「法」では「ほ」とは読めない。『長宗我部地検帳』(16世紀末)の段階で地名化しホノギとして記載されていることから、それ以前の時代にルーツを持っているはずである。平安時代後期から鎌倉時代ごろの成立であれば、年代的にも適合する。

 中世的所領単位の一つである「保(ほう)」について、『国史大辞典』には「平安時代後期に現れ中世を通じて存在した所領単位。荘・郷・保・名(別名(べつみょう))と並称された。十一世紀後半のころ律令制的郡郷制の解体とそれに伴う国衙領再編の過程で、未懇地の開発申請に応じて国守が認可を与えることで出現し、開発申請者は保司に補任されて、保内の勧農、田率官物収納の権限を与えられた」とある。保の管理責任者が「保司」であり、その保司の得分、すなわち「保司分」を地名の由来とする仮説が浮かび上がってきたのだ。
 やっと新たな光明が見えてきた。俄然これからの検証作業に力が入りそうである。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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