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 高知市春野町西分の「宝司部(ほしぶ)」が、かつては「法司分」や「法師分」と表記されていた。「法司」から連想される「法を司る」というイメージから、前回は吉良氏による吉良条目に着目した。
 少し補足しておきたい。条目制定に携わったとされる南学の始祖・南村梅軒については、高校の日本史の教科書にもその名が登場し「戦国時代に土佐で開かれたとされ、谷時中に受け継がれた南学(海南学派)も朱子学の一派で、その系統から山崎闇斎・野中兼山らが出た。とくに闇斎は神道を儒教流に解釈して垂加神道を説いた」と説明されている。しかし、南村梅軒や吉良条目についての歴史的根拠は『吉良物語』以外になく、その実在性が疑問視されている。
 ならば、実際に土佐国の分国法として制定された「長宗我部元親百箇条」との関連で考えることはできないだろうか。制定年次が文禄五年(1596年)、慶長二年(1597年)となっており、検地が行なわれた前後の時期である。『長宗我部地検』に「ホウシフン」という一定領域を指す地名として定着するのは難しそうである。
 そこで今回は、もう一つの「法師分」という表記に着目してみたい。「法師」とした場合は僧侶および寺院関係に注目しなければならない。やはりこちらが本筋であろうか。仏教寺院との関連を調べる必要がありそうだ。
 『遺跡が語る高知市の歩み 高知市史 考古編』(高知市史編さん委員会考古部会 編、2019年3月)によると、高知県最古の古代寺院は高知市の秦泉寺廃寺(白鳳時代)とされ、素弁蓮華文軒丸瓦をはじめとする出土物がそのことを示している。春野町の大寺廃寺、土佐市の野田廃寺からも同形式の素弁蓮華文軒丸瓦が出土しており、秦泉寺よりはやや遅れると考えられている。

 素弁蓮華文軒丸瓦といえば畿内では飛鳥時代、すなわち四天王寺が建立された時代に比定される。実は春野町秋山の種間寺には、用明天皇の治世に来朝した百済の工人が四天王寺建立後に土佐国に立ち寄り、種間寺を建立したという説話が「種間寺縁起」として伝承されている。

チ、本尾山朱雀院種間寺

秋山村 吾川郡
常通寺末。……開基、用明天皇御宇聖徳太子攝州天王寺就御建立、百済國王子并佛師工匠来朝、則歸唐之節逢難風此津ニ上り、為歸唐立願藥師如来之像を作リ伽藍を建安置、種間寺と号。(『南路志 第8巻』P224) 
 位置関係についても見ておこう。大寺廃寺跡は六条八幡宮(春野町西分3522)に隣接する喫茶店「梅園」付近とされ、宝司部と同じ春野町西分内にある。その南方1km圏内に第34番札所種間寺(春野町秋山72)もある。

 寺院というものは伽藍や仏像だけ造ればいいわけではない。仏法に精通した法師がいてこそ寺院というものは維持できる。その「法師」に対する所領として「法師分」があったのではないかと考察した。
 宝司部地区を基点にして、西に大寺廃寺、北に柏尾山寺(観正寺跡)、東には慶雲寺(後の雪渓寺)があった。それらの古い歴史を持つ寺院との関わりや、県外における「法師田村」(島根県)や「法師畑」(栃木県)などの類縁地名の存在もあって、この「法師分」説はかなり有力に見え、最終結論を出そうと考えつつも、何か納得できないものがある。寺院の所領は寺田や寺領であり、「法師分」のような所領形態があったことは聞かない。まだ何か見落としている重大な点があるのだろうか。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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