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 高知市春野町西分の旧春野町庁舎跡などで 2023 年 6 月 4 日(日)、「第 35 回はるのあじさいまつり」が開かれた。水路沿いに植えられた約2万本のアジサイを見るために多くの人が集まった。6月中旬頃まで楽しめる予定だ。
  まつりのメインとなる「あじさいウォーク」では「あじさい街道」と呼ばれる水路沿いの道を歩く。ふと、この道が古代官道のルートと関係していないだろうかとの考えが浮かんだ。奈良時代以前の古代官道は道幅が広すぎる。コストパフォーマンスが悪くて維持費がかかりすぎた。平安時代以降には道幅も狭められ、道が削られて畑に変わったところもある。
 「あじさい街道」は道に沿って水路があり、遊歩道があって、あじさいが植えられている。車道+水路+遊歩道。古代官道の道幅を復元するには十分な感じがする。

 一方、『長宗我部地検帳』によると春野町には「大道」地名が連なっている。それを復元して地図上にマッピングした図が『春野町史』に掲載されている。正確な位置が判断しずらいところもあるが、比較してみると「あじさい街道」よりは南を通っていたようだ。おそらく横川末吉氏の研究の成果であろう。


 ただし、『長宗我部地検帳』の「大道」がそのまま古代官道と重なるとは限らない。あくまでも長宗我部時代の幹線道路を示すものであり、古代までさかのぼることができるかどうかは別の論証が必要なのだ。
 718年以前においては伊予―土佐をつなぐ古代官道が存在したと推測されているが、それがどこを通っていたかについての発掘による手がかりなどは、この方面に関しては見つかっていない。ただし、郡家や古代寺院、一宮・二宮・三宮などの位置関係が推測のヒントになる。そして春野町に残された「大道」地名のライン。これは春野町西分の大寺廃寺と土佐市高岡町の野田廃寺をほぼ一直線に結ぶルート上に並んでいる。この2つの古代寺院跡から出土した有稜線素弁八葉蓮華文鐙瓦は、高知市北郊の秦泉寺廃寺跡からも同系統の瓦が出土しており、7世紀頃の創建とされる。
 県下で最古級とされる2つの白鳳寺院を古代官道が結んでいた可能性は少なからずありそうだ。「あじさいウォーク」では折り返し地点となる仁淀川の近くはかつて渡し場があった場所でもある。仁淀川を渡って南西に数百メートル行けば野田廃寺跡。さらに詳しく調べてみる必要がありそうだ。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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