「地方史を多元史観で読み解く」――これは簡単なことではない。とりわけ土佐国(高知県)において中世以前にさかのぼれる史料は少なく、古代についてはなおさら希少である。多くの県でかかえている悩みでもあろう。そんな中でも長野県における吉村八洲男氏の研究は、古田史学をベースとした多元的地方史研究の方法論として、大いに参考にさせてもらっている。ブログ『sanmaoの暦歴徒然草』に「科野からの便り」シリーズと題して連載されているので、ご参照いただきたい。
さて、小村神社(高岡郡日高村下分小村1794)の始鎮「勝照二年」という九州年号の存在は、土佐国古代史を多元史観で読み解く上で嚆矢(こうし)となる発見(“小村神社の始鎮は「勝照二年」その1~4”)であった。これに対して、「近畿天皇家以外に年号なし」という一元史観の立場から疑問視する向きもあろう。それだけに、その年号が書かれている「貞和三年(1347年)棟札」の文面を実際に見てみたいと思っていた。この棟札は現存する県内棟札最古の「仁治元年(1240年)棟札」に次いで2番目に古いとされる。もちろんそこには、同時代性が疑問視されている「斉明六年棟札」「大宝二年棟札」などは含まれていない。
そんな折、その棟札の写真が偶然にも『伊野史談50号』(伊野史談会、平成12年3月)に掲載されていたのである。墨書は摩滅が著しく、岡本健児氏は赤外線照射によって棟札に記された文字を確認したとある。「小村神社の仁治・貞和の棟札」と題する論考で、次のように紹介されている。
「上棟正一位二宮小村大天神造営 番匠左兵衛尉藤原弘次 鍛冶権守掃部員氏 當天神者去勝寶二年當國御影向之後天平寶字三年被始行御船遊……(中略)……
右意趣者生金輪聖王天長地久國吏安穏并将軍家繁昌家門泰平万民快楽乃國法界平等利益 貞和三年丁亥
十一月十五日」
岡本氏は大意についても、次のように説明している。
この度、正一位二宮小村大天神の上棟、造営を行なった。大工は左兵衛尉藤原弘次、そして、鍛冶は権守の掃部員氏である。さて、当小村天神社は天平勝宝二年(七五〇)に土佐国に影向(ようごう)している。 影向は神の来現を云う。その後天平宝字三年(七五九)には、始めて御船遊びをされる。……(後略)……
これを読む限りでは「勝照」年号など、どこにも見当たらない。『土佐国群書類従 巻一』『高岡郡日高村資料調査報告書』など、岡本氏と同様に「當天神者去勝寶二年當國御影向」と記載している活字本も多い。これに対して「當天神者去勝照二年~」というように「勝照二年」と書かれている文書もある。『高知県神社明細帳』および『土佐遺語』(谷秦山、一七〇八年頃成立)などである。
おそらく原文は「勝照二年」の形であろう。中間的な形態として、「勝照二年」の「照」の字の右横に(宝カ)と註書きしてる文献も存在することから、「勝照」→「勝宝」の書き換えが起きており、一元史観の立場から天平宝字以前で字形の似ている年号に当てはめようとした写し手の判断が見て取れる。しかも初出で「天平」を省略した「勝宝」と表記し、2番目の「天平宝字」年号は省略なしという書き方には矛盾がある。
写真を見る限りでは、確かに「勝照」か「勝寶」か判断がつかない。とりわけ2文字目はほとんど見えていないようだ。そのため岡本氏は『土佐国蠹簡集木屑』(寛政初年―同六年の間の編)・『南路志』(文化十年編)の同棟札文も参照したと書かれている。どちらも「勝宝」と書かれている文献である。
しかし、より古い段階では文字が判別できていたはずであり、その意味でも江戸時代前期の儒者・谷重遠(号は秦山、1663~1718年)の『土佐遺語』における「勝照」表記のほうが信頼できると言えるだろう。彼の「小村社造替勧縁疏」では「按古来所傳、小村大天神者、用明天皇二年始鎮坐當國」と考察されており、「勝照二年=用明天皇二年(587年)」説をとっている。原文が「(天平)勝寶二年」だったとしたら、孝謙天皇の治世なので全くのナンセンスである。
これが根拠となって小村神社の縁起等も用明天皇二年(587年)創建という立場をとっているようだ。けれども九州年号としての「勝照二年」であれば実際は586年であり、1年のずれが生じている。原文が「勝照二年」であることの確認と、その上での正しい歴史像を形成していく必要があるだろう。
現在、社殿前にある神社の案内板には「用命帝の2年」と誤字が放置されたままになっている。暗に「用明天皇などではない」との気概が込められているのかもしれないが、訂正される際には「勝照二年(586年)」と正しい伝承を伝えてほしいと願う。
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大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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