南国市国分の土佐国分寺は天平13年(741年)に聖武天皇の勅願により全国68か所に建てられた国分寺の一つで、現在は四国88か所霊場・第29番札所になっている。
大正11年に土佐国分寺跡が国の史跡に指定された当初は、古代の寺域は南北450尺(約136m)、東西500尺(約150m)と考えられていた。その後昭和52年から幾度も発掘調査が行なわれ、金堂跡や僧房跡と考えられる建物などが見つかった。この段階では寺域のちょうど中央に金堂跡があり、東大寺式伽藍配置という推測がなされている。
2016年からの寺域を調査する発掘調査で、古代の北門や、寺の主要施設を囲んでいた築地塀の痕跡、溝などを確認。当時の寺域は現在の寺域より更に北側60m位のところまで広がっていたことが分かってきた。すなわち、当時の寺域は現在の1.5倍ほどになり、塀に囲まれた伽藍地は南北約198m、東西約150mの範囲であったことが分かってきたのだ。
そうすると、現在の寺域のほぼ中央にあった金堂跡が実際は伽藍地の南3分の1ほどの場所にあったことになる。新しい調査結果を踏まえて伽藍配置を検討し直す必要がありそうだ。ちなみに安岡源一氏は『国分寺の研究上』のなかに記された「土佐国分寺」の論文で、「境内で、布目瓦の発見採集できるのは、太師堂・金堂の背後及び僧舎の内庭園の一部である」と述べている。
ところで、741年に出された聖武天皇の「国分寺建立の詔」と呼ばれている詔勅には「国分寺を建てよ」という内容は書かれていない。詔の中心は次のようなものである。
(天平十三年)三月……乙巳、詔して曰く。「……宜しく天下諸国をして各(おのおの)敬みて七重塔一区を造り、併せて金光明最勝王経・妙法蓮華経各一部を写さしむべし。……僧寺には必ず廿僧有らしめ、其の寺の名を金光明四天王護国之寺と為し、尼寺には一十尼ありて、其の寺の名を法華滅罪之寺と為し、両寺相共に宜しく教戒を受くべし。……」と。(『続日本紀』、原漢文)
簡単に言うと、「七重塔をつくり、僧寺には20人の僧、尼寺には10人の尼を置きなさい」といった命令であった。
仏教考古学者・石田茂作博士が土佐国分寺を訪れたときのこと、塔の跡を調べていて「この塔は聖武天皇の命令違反だなあ」と言ったという。土佐国分寺の塔の心礎には径68cm、深さ5.5cmの穴、さらにいま一段の径20cm、深さ5cmの穴がある。比江廃寺の場合は径81cm、深さ9cmの穴であるから、これより一回り小さく、心礎の大きさから割り出される塔の高さはせいぜい27mちょっとで、七重塔は建たないという。土佐国分寺跡の場合はどうも三重塔だったようなのだ。
5年間にわたる調査の成果として、金堂の約150m東側では平安末期―鎌倉期とみられる遺構、遺物が多数出土。鍛冶工房などに多く見られる鍛冶場の送風口「ふいご羽口」や鉄を精錬する際の不純物「鉄滓」も含まれていた。また、国分寺南西側では古墳・奈良・平安時代から中世にかけての多量の土器が出土した。国分寺伽藍中心部の施設の多くは真北から約7度東に傾いた方位で作られているのに対して、この地域では2~3度東に傾いた方位でそろえており、時期差による違いがあると報告されている。
5年間にわたる調査の成果として、金堂の約150m東側では平安末期―鎌倉期とみられる遺構、遺物が多数出土。鍛冶工房などに多く見られる鍛冶場の送風口「ふいご羽口」や鉄を精錬する際の不純物「鉄滓」も含まれていた。また、国分寺南西側では古墳・奈良・平安時代から中世にかけての多量の土器が出土した。国分寺伽藍中心部の施設の多くは真北から約7度東に傾いた方位で作られているのに対して、この地域では2~3度東に傾いた方位でそろえており、時期差による違いがあると報告されている。
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大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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