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 NHK朝の連続テレビ小説『らんまん』で神社合祀令の話題が登場した。 南方熊楠や柳田国男が反対運動を展開したこともよく知られている。明治39年(1906年)の神社合祀令によって、存立の難しい多くの無格社などが、地域の中心的郷社などに合祀され、神社整理が全国的に進められた。

 三豊市宅間町の浪打八幡宮もまた旧郷社である。『西讃府志』(旧丸亀藩京極家編、昭和四年)に「皇子祠 白髭祠 宇治皇子祠 宇禮姫祠 久禮姫祠 高良祠 松童祠 武内祠 竈殿祠 以上九祠共ニ八幡宮社頭ニアリ」(P530)とあることから、明治末期の神社合祀、ないしはそれ以前に境内社となったものであろう。
 面白いことに、高良祠と武内祠が並列して存在することから、「高良神社の謎」シリーズでずっと問題提起されてきた、高良玉垂命と武内宿禰命が同一神ではないことが分かる。実は武内宿禰命については境内社・高津神社に祀られている。
 高良玉垂命を祭神とする高良神社はどこへ行ったのだろうか。浪打八幡宮の吉田宮司によると、同じく高津神社に合祀されているらしい。「『高良神社』は筑後国一の宮で、……武内宿禰に比定する説もあって随神としての性格もある様です。そこで、当宮境内社『高津神社』に高良の祠を応神天皇を支えた随神として合祀されたと思われます」とのこと。
  さて、「西讃府志」に記載されていた摂社神社(9祠)は、「皇子祠(崇徳天皇系)」、「白髭祠(猿田彦系)」、「宇治皇子祠(応神天皇系)」、「宇禮姫、久禮姫祠(八幡神系)」、「高良祠(八幡神系)」、「松童祠(八幡神系)」、「武内祠(応神天皇系)」、「竈殿祠(釜戸神事系)」という形で分類することが出来ます。
……(中略)……
 これ以外の祠、すなわち「西讃府志」で言う「皇子祠、白髭祠、宇治皇子祠、宇禮姫祠、久禮姫祠、高良祠、松童祠、武内祠」は、天皇系あるいは八幡神(軍神)系として同じ流れを汲む神として合祀の対象とされました。
 合祀の祠として「高津神社」が選ばれたのは応神天皇が同神社の御祭神であることに加え、この社が大阪難波宮の跡地に位置していることがあったようです。当宮の由緒記に「敏達天皇の化身としての木像が難波の海から詫間の海にやってきて、この化身像を祀ることを要請した」と書かれていた為です。
 疑問は残るものの、境内社・高津神社に合祀されているとの見解で、浪打八幡宮の「消えた高良神社問題」は一応の結論が出たということになりそうだ。かつて旧本殿全焼、境内摂社類焼という状況のもと、9つの祠(境内社)の再編(合祀)が進められたようである。

 その他、「宗光神社」は郷土の義民「安藤忠蔵氏」の偉業を讃える祠。「忠魂社」は戦時中に詫間に設けられた忠魂神社を承継した祠。「恵比寿神社」は地元企業人からの商売繁盛祈念要請を受けた祠。「宗良親王社」は史実として当宮滞在の履歴があるため、これを顕彰する祠であり、いずれもが近年になってから勧請されたものだという。



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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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