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 令和2年度教科書展示会を見に行ってきた。
 教科書展示会は、昭和23年の検定教科書制度の実施に伴い、教科書の適正な採択に資するため、教科書発行法により設けられた制度。令和2年度は、6月12日から7月31日までの任意の14日間を中心として、全国で開催されている。
 会場に行ってみると、案内の掲示等もなく、部屋には電気もついていない。すぐに職員が出てきて、簡単に案内してくれた。
 開口一番、「社会の教科書ですか?」と聞かれた。どうして分かったのだろう。「そう、歴史の教科書です」と答えておいた。他教科については記述がどうのこうのといった問題点を指摘されることはほとんどないのだろう。いつも話題になるのは歴史教科書である。
 当ブログのタイトルにもなっている『もう一つの歴史教科書問題』について言及しておかなければなるまい。従来の歴史教科書問題と言えば、「自虐史観」か「自由主義史観」かといった論点であった。これに対して『もう一つの歴史教科書問題』と銘打ったのは、「一元史観」か「多元史観」かという視点を導入したかったからである。

 中学校『社会(歴史的分野)』の教科書については、7つの出版社の見本が並べられていた。東京書籍 ・教育出版 ・帝国書院 ・山川出版 ・日本文教出版 ・育鵬社 ・学び舎である。
 あまり期待してはいなかったが、やはり全ての教科書で「邪馬台国」という表記。『魏志倭人伝』の原文通りなら「邪馬壹国」でなければならない。原文改定がまかり通っているのだ。
 そして、もう一点「聖徳太子」がどうなっているかが気になっていた。一時期、「聖徳太子が教科書から消える」と騒がれていたからだ。ところが、どうしたことか6つの教科書までがそろって「聖徳太子(厩戸皇子)」という表記であった。そんな中で唯一、異なる表現をしていたのが学び舎の教科書『ともに学ぶ人間の歴史』である。「厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)」との書き方は最先端の歴史研究の成果を取り入れた好感が持てるものであった。
 本来、聖徳太子が行ったとされる遣隋使・十七条憲法・冠位十ニ階の制度など、その多くは九州王朝の天子「阿毎多利思北孤」の業績とすべき内容であることが分かってきている。『―日出ずる処の天子―阿毎・多利思北孤』(文化創造倶楽部・古代史&歴史塾 編、2014年)を読んでいただくと、よく理解できるだろう。多元史観の立場から分かりやすく説明されている。歴史の副読本として活用してほしい一冊である。目次についても以下に紹介しておこう。
rekishi1007

はじめに

第一章 多利思北孤は倭の天子

一 歴史を学ぶ大切さ
二 小説は歴史の本ではない
三 歴史の区分
四 中国の史書の大切さ
五 中国の史書は古くから、日本の史書は八世紀から
六 西暦701年まで日本の中心王朝は九州にあった倭国
七 九州王朝の倭国は西暦663年に白村江で唐に完敗
八 白村江の戦いで完敗した倭国のその後
九 倭国の天子・多利思北孤と近畿天皇家
十 現在学校で教えない九州王朝・倭国
十一 学ぶ姿勢の真髄

第二章 聖徳太子と多利思北孤

一 聖徳太子に関する通説

1 聖徳太子と日本人
2 聖徳太子の出自
3 聖徳太子と蘇我・物部の戦い
4 摂政・聖徳太子の斑鳩宮での政治
5 聖徳太子没後の政治
6 聖徳太子一家の滅亡
7 聖徳太子に関する現在の教科書
二 多利思北孤

1 『隋書・【タイ】国伝』
2 『隋書・【タイ】国伝』はいつ、誰が作ったか
3 『日本書紀』と『隋書・【タイ】国伝』の関係

三 聖徳太子をめぐる謎について

1 聖徳太子の没年日の謎
2 法隆寺再建をめぐる謎
3 憲法十七条制定の謎
4 冠位十二階制定の謎
5 天寿国曼荼羅繡帳銘の謎
6 法起寺塔婆露盤銘の謎
7 『上宮聖徳法王帝説』の謎
8 聖徳太子が小野妹子を遣隋使としたか、の謎
9 「聖徳太子をめぐる謎」に共通する根因は何か

四 阿毎・多利思北孤は聖徳太子ではない

第三章 金印・卑弥呼・倭の五王

一 金印

二 卑弥呼(ヒミコでなくヒミカと呼ぶ)

1 『魏志・倭人伝』
2 「邪馬壹国」は北部九州の博多湾岸

イ、『三国志』の位置づけロ、『三国志』は「邪馬臺国」ではなく「邪馬壹国」
ハ、部分の総和が「邪馬壹国」までの距離(里)
ニ、「邪馬壹国」は「博多湾岸」
ホ、『三国志』の距離(里単位)は「短里」
ヘ、卑弥呼の時代の倭国は「二倍年暦」
ト、謎の世紀が始まる三 倭の五王

1 『宋書』の「倭の五王」記事
2 『古事記』の雄略天皇の項の概略
3 倭の五王は天皇たちではない
4 倭王武を雄略天皇とした場合の矛盾等

イ、在位期間の矛盾
ロ、名前比定の矛盾
ハ、系譜と在位の矛盾
ニ、倭の五王は緊迫治世、仁徳〜雄略はのんびり治世

5 埼玉稲荷山古墳鉄剣と熊本江田船山古墳鉄刀
6 「七支刀の銘文」と「高句麗の好太王碑文」

第四章 継体と磐井

一 継体の出自と即位

二 継体と磐井の戦い

三 『日本書紀』が記す継体天皇崩御年と磐井の関係

四 磐井は日本の天皇

五 継体と磐井の没後

六 磐井の乱はなかった?

第五章 乙巳の変・白村江の戦い・壬申大乱

一 乙巳の変

1 乙巳とは
2 「乙巳の変」のいきさつ
3 「大化という年号」の謎
4 天皇家年号に先立つ「九州年号」の存在

二 白村江の戦い

1 「白村江の戦い」に敗れ、衰亡した九州王朝
2 九州王朝と神籠石山城群
3 柿本人麻呂と九州王朝

三 壬申大乱

1 「壬申大乱」は天武の吉野入りが始まりか?
2 九州佐賀の吉野
3 「壬申大乱」後の天武朝
4 唐の則天武后と持統天皇

イ、則天武后
ロ、持統天皇

i)持統の出自と意義
ⅱ)父・天智の「日本国」の創設
ⅲ)夫・天武の「日本国」の再構築
ⅳ)持統天皇自身が成し遂げた統一「日本国」の成立
v)「倭国」を「日本国」に統合させたのは唐の意向

第六章 「倭国」から「日本国」へ

一 「倭国」の山

1 三笠山
2 天の香具山
3 雷山

二 「倭国」の人

三 唐と近畿天皇家

四 九州王朝「倭国」はなぜ滅んだか

五 新生「日本国」のその後

おわりに

この本を、お薦めいただいたご両親様方へ
『学問論「日出ずる処の天子」−憲法論−』…古田武彦附録
年表
系図
古田武彦主要著作

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プロフィール
HN:
朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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