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 土佐市役所や市民図書館が移転して複合文化施設ができる際に、新しい施設の名称募集があった。土佐市と言えば「大綱まつり」。頭をよぎったものの、応募することもせずにいたが、決定した名称は「つなーで」であった。5つの施設機能を集約し、土佐の「ミチ文化」を活かしたという。
 去年(2020年2月22日)オープンしたばかりの土佐市複合文化施設「つなーで」で、2月6日(土)~2月23日(火祝)の期間、「土佐市の遺跡展」〈高知県立埋蔵文化財センター 主催〉が開催された。個人的に一番注目していたのは、野田廃寺の古代瓦の展示であった。写真だけでなく実物を見るという経験はやはり大切である。ドイツのシュタイナー学校でビデオ等の授業より、実体験の授業を重視する考え方もよく分かる。

 実見したところ、野田廃寺の素弁八葉蓮華文軒丸瓦は春野町の大寺廃寺の瓦(高知市春野郷土資料館に「8世紀」と書かれ展示中)と同范ではないかもしれないが、同形式である。高知市秦泉寺廃寺の白鳳瓦とも同系列なのである。これらは7世紀とすべきであり、聖武天皇の詔との整合性が合わないからといって8世紀にずらし込むべきではない。展示では単に「古代」とだけ表記されていた。
 土佐市高岡町丙野田の野田廃寺跡付近(よどやドラッグ土佐高岡店周辺か)には寺院関連の地名は見られないという。早くに退転したと考えられている。そして不思議なことに旧土佐市役所跡の地名が明官寺である。いかにも官寺があったことを連想させる。そして春野の大寺廃寺と野田廃寺を結ぶ古代官道が存在したのではないかといったことが今後の研究課題である。
 土佐市の歴史は、西鴨地徳安地区で見つかった石器(尖頭器)により約1万2千年前の縄文時代草創期にまで遡ることが分かっている。これまで行われた発掘調査で、土佐市はもとより高知県の歴史においても重要な発見が数多くあり、今回の展示会では、こうした遺跡の調査から明らかになった土佐市の歴史が紹介された。

 「ワークショップー勾玉づくりー」の影響もあってか、人気投票では「勾玉、小玉」(上ノ村遺跡)が断トツ1位。2位は青磁碗(天神遺跡)で、軒丸瓦(野田廃寺跡)と銅矛(天崎遺跡)が同率3位といったところだろうか。それらの陰に隠れてしまったが、今回の「土佐市の遺跡展」で本来、最も注目すべきは木胎漆器(居徳遺跡群)である。現代の漆職人が遠く及ばない漆の技術を縄文人は持っていたという。その証拠となるのが木胎漆器であり、最も目立つ位置に展示されていたところにも、その価値が読み取れる。残念ながら、よく見たら複製品と書かれていた。実物でなかったので、人気投票も振るわなかったのかもしれない。

 古代史の解明は空想ではいけない。出土物との整合性があってこそ、信頼できる歴史像を描くことができる。多くのインスピレーションを与えてくれた今回の遺跡展でもあった。
 

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『探訪―土左の歴史』第19号 (仁淀川歴史会、2023年6月)
高知県の郷土史について、教科書にはない史実に基づく地元の歴史・地理などを少しでも知ってもらいたいとの思いからメンバーが研究した内容を発表しています。
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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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