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 高知県の地名に通じておられる方なら、かつての香美郡物部村(ものべそん)、および現在の香美市物部町はどうなのかと疑問を持たれるかもしれない。もちろん古代物部氏と関係がないのかという点についてである。
 物部川上流域の徳島県との県境にある集落で、地名だけからイメージすると、何か関係がありそうに思える。しかし、これまでも言ってきたように、その地名がいつ成立したかという点の確認がまず第一に必要である。
 念のため調べてみると、1956年(昭和31年)に香美郡槙山村、上韮生村が合併し、物部村が発足。『物べ村志(物部村史)』(松本実編、昭和38年)によると、清流物部川になぞらえて村名を「物部」と定めたとある。2006年(平成18年)に香北町・土佐山田町と合併して香美市となり、現在の香美市物部町に至っている。
 残念ながら昭和に始まった地名であり、古代どころか、中世・近世にもさかのぼれない。だからと言って、古代の土佐物部氏と全く無縁かというと、そうも言い切れない。この地域が物部氏の伝承を伝える場所であり、それにちなんだ命名であったからこそ、住民の合意も得られたのだろう。
 少し整理しておこう。①8・9世紀に有力な土佐物部氏の存在が確認される。②『和名類聚抄』に香美郡物部郷(物部川下流付近か)が記録されている。③鏡川が物部川と呼ばれるようになる。④物部川になぞらえ物部村(物部川上流)が誕生。
 現在「鏡川」といえば、映画『竜とそばかすの姫』でもよく映し出される高知市内を流れる川を指すが、古くは物部川のことを「鏡川」と言っていた。それが土佐物部氏が開拓し、生活の場としたことによるものだろうか。いつしか物部川の名が定着していったようである。

 けれども土佐物部氏により関係の深い川と言えば、むしろ香宗川ではなかろうか。『香我美の地名考 新版』(山本幸男著、平成11年)を見ると、東川地区の山川の地名に関して、「山川氏の遠祖は、古来武士集団の象徴的存在であった物部氏だと言われています。近くにある石舟神社はこの物部氏の先祖神とされています。……現在の、清藤・末延・正延・別役姓など、みんな物部氏の末裔だといわれています。……香宗川の源流と言える、別役部落から正延・末清・末延・山川へまさに『やまかわ』の地名にふさわしく……」とある。
 『土佐言葉 香南の歴史 遠近掘り起こし帳』(野村土佐夫著、2021年)などにも、土佐物部氏の末裔について同様のことが書かれている。ある面、地元ではよく知られていることのようだが、どこまで信頼できるのだろうか。これらが何を根拠としているのかなど、さらに突き詰めて調べてみたい。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
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