“七重塔はなかったーー命令違反の土佐国分寺”の記事を書いたところ、ブログ『sanmaoの暦歴徒然草』で、“妄想:土佐国分寺伽藍配置考(1)~(5)―「七重塔」の基壇はどこに―”というテーマで取り上げていただき、「聖武天皇の詔」への命令違反ではなかった可能性を示す仮説を提示された。現金堂の位置に七重塔があったとするもので、命令違反でないとすれば、七重塔を建てるには最低18m四方の基壇が必要であり、それを可能にする場所は金堂のある中央の基壇しかないというわけだ。詳細はブログ『sanmaoの暦歴徒然草』の記事を参照してほしい。
これに伴って『肥さんの夢ブログ』でも土佐国分寺のことが紹介されていた。ちょっと驚いたのだが、土佐国分寺で素弁蓮華文軒丸瓦が出土しているというのである。私の認識では土佐国分寺からは「素弁」は出ておらず、ONライン(701年)以降の創建と考えていたからだ。南海道については、次のようにリストアップされている。
どうも参照した資料によって、「素弁あり」とするものと「素弁なし」とするものとがあるようなのだ。素弁軒丸瓦の出土があるかないかは、創建年代の比定に大きく関わることなので、あいまいにできない問題だ。
順を追って調べていきたいと考えているが、とりあえず過去のブログで紹介した画像を再度アップしておく。「土佐国分寺及び国府址出土古瓦」の拓影である。
【南海道】
(52) 紀伊国分寺・・・ 「単」「複」(53) 阿波国分寺・・・ 「単」「複」(54) 讃岐国分寺・・・「素」「単」「複」(55) 伊予国分寺・・・ 「単」「複」(56) 土佐国分寺・・・「素」「単」「複」(57) 淡路国分寺・・・「素」「単」「複」
けれども、以前(2018年5月)紹介された「国分寺における素弁蓮華文軒丸瓦の分布(石田茂作氏)」のマップでは、土佐国は「素弁」なしとされている。
▲国分寺における素弁蓮華文軒丸瓦の分布 |
どうも参照した資料によって、「素弁あり」とするものと「素弁なし」とするものとがあるようなのだ。素弁軒丸瓦の出土があるかないかは、創建年代の比定に大きく関わることなので、あいまいにできない問題だ。
順を追って調べていきたいと考えているが、とりあえず過去のブログで紹介した画像を再度アップしておく。「土佐国分寺及び国府址出土古瓦」の拓影である。
上図は田所眉東氏の論考「土佐国分寺瓦に就て」(土佐史談第65号)に掲載された図で、『高知県史 考古資料編』(高知県、1973年)にも所収された。その際、「徳島県の学者田所眉東氏の土佐国分寺および尼寺説である。面白い立論をされているが、瓦の編年に問題がある」(“一元史観による地方の編年50年ずれ”参照)との編者注がなされている。識者のご判断を仰ぎたい。
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プロフィール
HN:
朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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