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 安芸市僧津の瓜尻(うりじり)遺跡で、一辺約23メートルの正方形の建物跡が見つかったことが注目を集めている。とにかく現地を見てみなければという思いもあって、高知県東部の安芸市に向かった。車で高速道路を走りながら、悠久の時を隔てて、ほぼ古代官道に並行して進んでいることに想いを馳せた。

南国市から安芸市へ
https://youtu.be/5OyI32QnosI


 遺跡の場所は安芸平野のほぼ中央、安芸条里の北端に位置する。一宮神社や岩崎弥太郎の生家がある場所から東に約500メートルの安芸川右岸に広がる田畑。東側には「安芸城跡」(中世~近世)、南側には「ジョウマン遺跡」(弥生時代~古代)や「シガ屋敷遺跡」(弥生時代~近世)、西側には「一ノ宮古墳」(古墳時代)、北側には「マテダ遺跡」(古墳時代~中世)がある。安芸郡家についてはまだ明確には分かっていないが、安芸川左岸、瓜尻遺跡よりは東方の川北地区に比定する説もある。

▲安芸城跡から瓜尻遺跡方面を臨む

 島根大学の大橋泰夫教授(考古学)は「寺院に隣接して官衙が見つかった点が重要」「郡衙にしては規模が小さく、郡内に複数設置された郡衙の支所『館(たち)』の可能性がある」などとコメントしている。古代寺院で使われる蓮華文軒丸瓦や多量の瓦片(布目や叩き目など)が出土した場所の小字は「高堂」。寺院跡らしき地名遺称であり、地元では「たかんどさん」と呼ばれていたそうだ。


 安芸郡奈半利町の古代寺院であるコゴロク廃寺との関連も気になっていて、安芸市歴史民俗資料館で質問してみたところ、瓦の形式は異なると明言された。軒丸瓦の実物も見せてもったが、コゴロク廃寺跡の出土瓦は単弁および複弁蓮華文軒丸瓦である(“ココログ記事とコゴロク廃寺”参照)。瓜尻遺跡の古代寺院のほうがやや古いのではないかとの印象を受けた。
 寺院跡と推定される場所に隣接する方形区画遺構からは7世紀の須恵器が出土。その南正面に広がる入江状遺構は護岸施設の可能性もあると考えられている。まさに「僧津」地名そのものを表す遺構なのではないか。
 ほぼ時を同じくして、昨年(2020年)12月には南国市国分の土佐国分寺でも寺域が1.5倍に広がるとの発掘調査が報告されたばかりだ。多元的古代史を展開するピースは揃いつつある……。
 718年以降に使用された古代官道(養老官道)が安芸平野のどこを通っていたのか? 安芸郡家はコゴロク廃寺のあった安芸郡奈半利町か、それとも安芸市内か? 解き明かすべき謎はまだ数多く残されているが、論理の指し示すところに向かって進んで行こうではないか。


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『探訪―土左の歴史』第19号 (仁淀川歴史会、2023年6月)
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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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