女王国(邪馬壹国)の同盟国と考えられる「使訳通ずる所三十国」。そこから狗邪韓国以下9国を除いた21か国については、国名のみが『魏志倭人伝』に列挙されている。そのいずれかの国が高知県に存在したであろうかという「魏志倭人伝の21か国は高知県に存在したか」という問題は、単に類似地名を探すという方法論では解決しない。似たような地名は全国にいくらでも存在するからだ。 そこで私が第一に着目したのが稲作開始時期である。これは古田武彦氏も注目した点であり、言い換えるならば弥生時代の先進地はどこかという視点である。北部九州が最も早いことはよく知られているところだ。
これは測定結果ですから当然ですが、「高知の田村と北九州は間があいていない」「それはなんでですか」と説明の方に聞いても「分かりません」。(『邪馬壹国の歴史学』「Ⅳ 倭人も太平洋を渡った」P.158)古田氏は「筑紫に次ぐのは、土佐」というデータ、そのグラフを見たとき、深い好奇心をおぼえざるをえなかったとも言及している。 田村遺跡は縄文時代から近世にかけての遺跡で、縄文時代後期では九州との関連が深い鐘崎式土器が多く出土している。弥生時代では本格的に稲作を始めた初期のムラの様子が明らかとなって、中期には西日本でも屈指の大集落となり、大きな影響力を持っていたとされる。 そしてさらに注目すべき点は、朝鮮半島の松菊里遺跡で発見された住居跡に類似する松菊里型竪穴住居跡が見つかっていることである。これをもって朝鮮半島と直接または間接的に交流があったとする研究者もいる。 『魏志倭人伝』に記録された弥生時代のことを論ずるには、少なくとも上記の内容は無視できないのではないかと考える。だからと言って、存在したという明確な根拠とするには慎重を要する。あくまでも、可能性の高さを論ずる参考資料にとどめてほしい。 PR |
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