『古賀達也の洛中洛外日記』第2238話(2020/09/22)に「天智天皇を祀る神社の分布」として、次のリストが紹介された。
○県社 村山神社(愛媛県宇摩郡津根村)
○郷社 鉾八幡神社(香川県三豊郡財田村)
○郷社 恵蘇八幡宮(福岡県朝倉郡朝倉村)
○郷社 山宮神社(鹿児島県曽於郡志布志町)
○村社 山宮神社(鹿児島県曽於郡志布志町田之浦)
○村社 石座神社(滋賀県滋賀郡膳所町大字錦)
○村社 皇小津神社(滋賀県野洲郡河西村)
○村社 早鈴神社(鹿児島県姶良郡隼人町)
○無格社 葛城神社(鹿児島県日置郡西市来村)
○無格社 新宮神社(鹿児島県伊佐郡羽目村)※「伝天智天皇」と称する。
○無格社 山口神社(鹿児島県曽於郡末吉町南之郷)
○無格社 多羅神社(鹿児島県揖宿郡揖宿村)
これらを県別に見ると、次の様な分布数になる。
□滋賀県 2社
□香川県 1社
□愛媛県 1社
□福岡県 1社
□鹿児島県 7社
近江神宮を含めると滋賀県は3社。鹿児島県の7社は他にお任せするとして、四国で天智天皇を祀る神社3社について分かる範囲で紹介してみたい。
①愛媛県の村山神社
合田洋一氏が『葬られた驚愕の古代史』等の著書で、伊予国に残る斉明天皇行宮伝承地の一つとして紹介したことから、古田史学派の間では有名になった神社である。現在は四国中央市。『愛媛県神社誌』の記述を抜粋する。村山神社(旧県社)宇摩郡土居町津根一八六五番地〔主祭神〕天照皇大神〔配神〕斎明天皇、天智天皇〔由緒沿革〕天照大神御鎮座は年代未詳。斎明天皇御鎮座は社伝記に詳らかで、天智天皇御鎮座は白鳳八年三月という。木像七〇余体は斎明天皇近侍の生像と云われている。
当社は天皇行幸の旧跡に鎮座といい、社前の堀の中に周囲一〇余丈の小高き丘あり、郷人これを宝の丘と呼ぶ。天皇の御陵所と云われている。又、天智天皇行幸には天神地祇斎庭の御遺跡あり。文徳実録、三代実録に神位受賜の記載がある。延喜式の名神祭に預り、大社二八五座の内村山神社伊予国とあり。宇摩郡宗廟の神一群の鎮守として国守河野の崇敬篤く、又、西条藩社となり、松平家の祈願所であった。
②香川県の鉾八幡宮
かつて“香川県の高良神社⑤ーー財田町財田上の鉾八幡宮・境内末社”で紹介したことがある。八幡宮が天智天皇を祀っているというのは不思議だと思って、もう一度確認してみた。するとやはり、明治42、43年に近隣の神社を多数合祀している。 合祀されたのは「大物主命 天智天皇 菅原道眞 奧津彦神 奧津姫神 火産靈神 大己貴神 阿須波大神 稻倉魂神 天御中主神 大山祇神 五十猛命 素盞嗚命 市杵嶋姫命 宇賀大神 久久能知神 豐受比賣神 水分神 少彦名神 」とそうそうたるもの。推測した通り、神社合祀令によるもののようだ。
政府の政策により、明治四二と四三年の二回、神社整理が行われた。これは全国的なもので、当時の内務大臣の指示によると、「……格別の由緒なく小規模の神社で、神職も常置せず、氏子崇敬者が維持を困難とし、崇敬の実をあげることができない神社は合併して神社将来の発展を期すように……」
とされている。鉾八幡宮でも二八社が合祀されたが、大正四(一九一五)年から同七年にかけて約半数が氏子等の強い希望により旧社地に社殿を再建復興した。
③高知県の大森神社
大森神社(旧村社)
所在地 高知県吾川郡いの町中野川126番
祭神未詳(伝天智天皇)
勧請年月縁起沿革等未詳。
古来当地域の産土神で、もと大宝天皇と称した。道路がヘアピンカーブする間の大木の茂る林内に鎮座。
“「大宝天皇」は政権交代の礎を築いた天智天皇をさしていた!”で紹介したように、天智天皇を祀る神社が高知県内に存在していることは早くから知っていた。しかし、古老の話によるものであり、現在は祭神未詳となっている。何かの差出しの時に祭神を伏せるようにとの配慮があったことが、ある史料に出ていたように記憶している。
はじめはなぜこのような険しい山中に天智天皇を祀っているのかと不思議に思っていたが、村山神社との位置関係を見てもらえば、むしろ愛媛県との県境に近いからこそというもっともな理由が見えてくる。そこは長沢という地名もあり、もしかしたら無量寺『両足山安養院無量寺由来』「聖帝山十方寺由来之事」に記載されている「長沢天皇」との関連があるのではとの連想も浮かぶ。
伊予国は合田氏が言うように斉明天皇の伝承が色濃く残る場所であり、天智天皇とも関連が深いわけである。鉾八幡宮にしても、大森神社にしても、伊予国を中心とする伝承の辺縁部という位置づけになる。
さらに“長岡郡大豊町に斎明6年棟札があった①~④”で言及したように、愛媛県と徳島県との県境の町である大豊町に「斉明6年棟札」が存在していた。もっと言えば、高知市の朝倉神社周辺にも斉明天皇および天智天皇の伝承(『愛媛県神社誌』に天智天皇の土佐国朝倉行幸)は数多くあり、秦泉寺廃寺近くに天智天皇のミササギ伝承地も存在している。
それらはあたかも天智天皇が近江朝を築く前に、四国に滞在していたことを指し示すかのようでもある。多元史観による考察が求められるところだ。
“「大宝天皇」は政権交代の礎を築いた天智天皇をさしていた!”で紹介したように、天智天皇を祀る神社が高知県内に存在していることは早くから知っていた。しかし、古老の話によるものであり、現在は祭神未詳となっている。何かの差出しの時に祭神を伏せるようにとの配慮があったことが、ある史料に出ていたように記憶している。
はじめはなぜこのような険しい山中に天智天皇を祀っているのかと不思議に思っていたが、村山神社との位置関係を見てもらえば、むしろ愛媛県との県境に近いからこそというもっともな理由が見えてくる。そこは長沢という地名もあり、もしかしたら無量寺『両足山安養院無量寺由来』「聖帝山十方寺由来之事」に記載されている「長沢天皇」との関連があるのではとの連想も浮かぶ。
伊予国は合田氏が言うように斉明天皇の伝承が色濃く残る場所であり、天智天皇とも関連が深いわけである。鉾八幡宮にしても、大森神社にしても、伊予国を中心とする伝承の辺縁部という位置づけになる。
さらに“長岡郡大豊町に斎明6年棟札があった①~④”で言及したように、愛媛県と徳島県との県境の町である大豊町に「斉明6年棟札」が存在していた。もっと言えば、高知市の朝倉神社周辺にも斉明天皇および天智天皇の伝承(『愛媛県神社誌』に天智天皇の土佐国朝倉行幸)は数多くあり、秦泉寺廃寺近くに天智天皇のミササギ伝承地も存在している。
それらはあたかも天智天皇が近江朝を築く前に、四国に滞在していたことを指し示すかのようでもある。多元史観による考察が求められるところだ。
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大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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