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 高良神社研究を始めた頃、愛媛県は高良神社の空白地帯のように映り、それゆえ疑問に思っていた。「高良神社あるところに九州王朝の影あり」――この仮説に基づいて考察すれば、愛媛県には単立の高良神社は一社もなく、九州王朝とは関係が薄いことになってしまう。
 邪馬壹国時代には倭種の国と『魏志倭人伝』に記録され、白村江の戦いでは一軍を派兵した親九州王朝の国が越智国をはじめとする伊予の国々であった。本来ならば多数の高良神社が祀られていてよさそうなものである。根気よく調べていくと、確かに存在していたのである。“愛媛県の高良神社①”ですでに紹介してきたように、その多くは八幡神社の境内社として祀られていたのだ。
 東京オリンピックの開会式をよそに、愛媛県南宇和郡の高良神社を確認するため、単身乗り込んだ。愛南町御荘に鎮座する八幡神社(愛南町平城1534-1)の境内社として高良神社が存在することは数年前から調べはついていた。どうしても見てみたい場所でもあった。

 国道56号線沿いに立派な赤い鳥居が見えてきた。鳥居には夏越祭の案内も貼られている。高知県では通常6月30日に輪抜け様として行われるものであるが、ここでは7月30日のようだ。『神社だより』第26号に、今年も新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、「大祓(輪ぬけ夏越祭)の昇段参拝は中止とします」と書かれている。ただし、7月25日~30日の期間、茅の輪の設置はあるとのこと。
 さて、境内地からは土器、石器等が発見されており、古くから町指定遺跡とされている。創立未詳だが、永仁3年(1295年)3月に再興の棟札がある。そんな歴史ある八幡神社に境内社として高良神社(祭神:高良玉垂命)が鎮座していたのである。境内社とはいえ、高知県の小さな祠のごときものとは比較にならないほど立派な神社である。
 どのようないきさつで境内社となったものか。明治時代末の神社整理令によるものか、それともそれ以前から境内社だったのか。さらに隣の境内社が八坂神社の扁額をかけているのだが、愛媛県神社庁の説明ではもう一つの境内社を「日吉神社(大山咋命)」としている。単なる間違いなのか、それとも一緒に祀られているのだろうか。
 また愛媛県の中心地から遠く離れた最も南(南宇和)に位置する意味をどう考えるかなど、考察すべきことはいくつかある。愛媛県の高良神社を紹介するのは久しぶりになるので、その他については、“愛媛県に高良神社は何社あるか?”の記事を参考にしてほしい。




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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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