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▲白雲(霧)のかかる辺りに白雲神社が鎮座する

 高岡郡津野町の東部を占める旧葉山村は、1956年(昭和31年)下半山(しもはやま)、上半山の2村が合併して成立。2005年(平成17)東津野村と合併して、津野町となった。中央部を新荘(しんじょう)川が東流し、坂本龍馬脱藩の道としても知られる。「葉山」地名は早馬(ハユマ)に通じ、古代官道の駅家関連地名とも言われる。

 古くは半山(はやま)郷とよばれ、中世、津野荘一帯に広く勢力を有した津野氏が、姫野々に城を構えていた。姫野々の中央に鎮座する白雲神社は、その築城に際し四方固めの神社として勧請したものという。


 中世土佐の名族津野氏は、家譜によれば913年(延喜13年)土佐に入国、津野荘を開拓したとするが、案内板にもあるように、地元では元仁元年(1224年)入国説を採用しているようだ。家系図の代数から、10世紀までさかのぼるには無理があるとの考え方が強いためだろう。津野氏は本姓藤原氏、鎌倉期には在地領主として台頭、この荘名を姓としていたことが1333年(元弘3年)には確認できる(潮崎稜威主文書)。五山文学の双璧と称される義堂周信(ぎどうしゅうしん)、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)はともに津野氏の一族で、船戸の出身と伝える。


 津野氏はなぜ姫野々の中央、城の守りの要所に白雲神社を祀ったのだろうか。白雲神社とはありそうで、あまり聞かない社名である。有名なところでは京都に一社。京都市上京区京都御苑内に白雲(しらくも)神社がある。藤原北家閑院の一流・旧西園寺家の鎮守社で、厳島神社・宗像神社と並んで、京都御苑にある3つの神社のひとつ。由緒書によれば、鎌倉中期の元仁元年(1224年)、太政大臣・西園寺公経(さいおんじきんつね)が北山殿(現在の金閣寺の地)の造営に当たった際、第一に建立した妙音堂に由来するとされる。元仁元年といえば、津野氏の土佐入国と機を一にしている。何かつながりがあるのだろうか。なお、祭神の市杵島姫命は妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)と称えられて、琵琶を家職とする西園寺家の楽神(音楽の神)として崇められたそうだ。

 ところが、高知県の白雲神社の祭神は異なる。『鎮守の森は今』(竹内荘市著、2009年)によると木花咲耶姫命と石長姫。『高知県神社誌』(竹崎五郎著、昭和6年)では「祭神未詳。或云木花咲耶姫命。往昔津野氏半山城鎮護の為め勧請と伝ふ。合祭社白山神社外四社あり」としている。
 津野家没落後神社は破壊してしまったが、正徳元年(1711年)村民が再興。当部落の産土神として白雲権現と称していたが、明治元年に白雲神社と改称した。長い遊歩道を登った城山公園の一角に鎮座。さらに登ると標高193メートルの頂上に城跡がある。

 また、似たような名称では岡山県にこのみ教白雲大宮(笠岡市応神山宮地)や白雲山普光寺(久米郡美咲町)などがある。寺院としての白雲寺(はくうんじ、びゃくうんじ)であれば、富山県に3か所、氷見市・射水市・中新川郡立山町にある。他に愛知県丹羽郡扶桑町と大阪市東住吉区に各1か所。
 ルーツをたどれば、中国の五台山の影響であろうか。平安時代から鎌倉時代の入唐僧や入宋僧の多くは、天台山とともに五台山を訪れた。山西省の白雲寺については、唐代(618~907年)に五台山に建設され、宋代(960~1270年)に最盛期を迎えている。
 中国文化にも通じた五山文学を代表する学問僧、義堂周信と絶海中津の存在が「白雲神社」の社名に反映されていると見るのは考えすぎであろうか。


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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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