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 新しい地名なのか、古くからある地名なのかは、地名研究においてまず確かめておかなければならないことである。高知市春野町西分の「宝司部(ほしぶ)」についてはどうだろうか。
 高知県には恰好の史料がある。豊臣政権期に土佐国主であった長宗我部氏が実施した、土佐一国の総検地帳『長宗我部地検帳』である。天正十五(1587)年から数年かけて行われた検地の成果で、土佐七郡全域にわたる368冊が現存する。
 『長宗我部地検帳』に記載されていれば16世紀以前にさかのぼることができ、記載されていなければ、ほとんどの場合江戸時代以降の比較的新しい地名ということになる。いわゆる「長宗我部地検帳のふるい」である。
 もちろん、『長宗我部地検帳』も無謬(むびゅう)というわけではなく、記載されないものもある。けれども土佐一国の基本台帳としての客観的な資料的性格を考えると、主権者のイデオロギーを反映する『日本書紀』などよりも、はるかに信頼性があって、まさに一級史料と言えるだろう。
 実はこの『長宗我部地検帳』に例の地名が記録されていたのである。『長宗我部地検帳 吾川郡上』P180~181に「ホウシフン」というホノギ(小字)があり、「ホウシ分」との表記もある。このことから3文字目の漢字について、古くは「部」ではなく「分」であったことは確認できるが、初めの2文字が「宝司」「法司」「法師」のいずれであるかについては判明しない。

▲『長宗我部地検帳 吾川郡上』P181

 また当時は濁点をつけずに表記することが多く、「ホ」と「ボ」それと「シ」と「ジ」のどちらで発音していたのかは判断がつかない。いずれにしても現代の「ほしぶ」という発音とは微妙に違っている。変化が最も小さいものと考えると「ホウシブン」というように「フ」だけに濁点をつけて「ブ」と発音するのが良さそうだが、他の選択肢も念頭に置いておくべきかもしれない。

 重要な点は16世紀末の時点で、現代とはやや異なっているものの、すでに「ホウシ分」という地名が実在していたということである。よって地名の由来もそれ以前にさかのぼって考えなければならないようだ。


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