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 香川県最大の高良神社といえば、やはり四国八十八ヶ所70番札所本山寺(三豊市豊中町本山甲1445)に隣接する高良神社であろう。ここもまた財田川流域の要衝の地である。四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4か所だけという五重塔が目印。大同2年(807年)平城天皇の勅願により、弘法大師が70番札所として開基。当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残る。天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれる。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれている。その後、「本山寺」と名を改めた。

 近隣の神社などについては案内板に描かれているが、隣接する高良神社については何も見あたらない。本山寺境内はお参りや五重の塔を撮影したりする参詣客でにぎわっていたが、塀を1枚隔てた高良神社を訪れる者は誰もいなかった。もともと寺家村の氏神とされているわけだから、よそ者が来ることを歓迎していないようでもある。

 しかし古い史料では高良神社が大きく描かれていた時期もあり、長福寺(本山寺)は高良神社の神宮寺という位置づけだったのかもしれない。秋の大祭では盛大に神輿が出るということを近所の人からも聞いた。

 静謐(せいひつ)な境内には「高良神社のクスノキ」と呼ばれる香川県の保存木も存在する。勧請元である久留米の高良大社にもクスノキ(県指定天然記念物)があり、高良大社縁起書『高良記』によれば、「クスの木は神木として、御社殿等の用材としても一切使用しないという秘伝がある」と述べられている。

 拝殿の中には武内宿禰と見られる人物を中心に5枚の絵が飾られていた。『西讃府誌』では「高良大明神 祭神武内大臣 祭禮八月十七日」としているが、『豊中町誌』(豊中町誌編纂委員会、昭和54年)を見ると、少し違う解釈もあるようだ。

高良神社(旧村社)

豊中町大字本山甲一四四八番地一
玉垂命(一説に猿田彦命)
 「社伝」によると、貞観十四年(八七二)、当村田井式部が筑後国一ノ宮高良山から勧請して当地の岡本村(寺家・岡本・本大村)の氏神として奉斉したと伝えられている。その後衰頽していたが、宝暦十二年(一七六三)、 本大、岡本、本ノ大村の三か村の人々によって再興され、八幡宮とともに総氏神として祭祀した。明治五年神社社格改訂の折、寺家村の氏神として祭祀を行うことになった。『西讃府誌』に「祭神武内大臣…社地四段四畝、神田六石六斗」と記されている。

 さて、社伝によると872年、当村田井式部が筑後国一ノ宮高良山(高良大社)から勧請したとされている。
 田井式部についてはっきりしたことは分からないが、田井姓については『
日本姓氏語源辞典』によると「①香川県高松市上田井町・下田井町発祥。平安時代に『田中』と呼称した地名。同地に分布あり」と書かれている。小豆島にも田井地名があり、徳島県海部郡美波町田井や高知県にも土佐郡土佐町田井という地名が存在している。また、武内宿禰の後裔とされる玉井姓や田口姓とも一字を共有していることが気になるところだ。
 田井式部と聞いてすぐに思い出したのは、大学時代に読んで感動した『対馬物語 日韓善隣外交に尽力した雨森芳洲』(田井友季子著、1991年)の著者であったが、歴史学者の
御主人は東京出身のようである。
 ちなみに高知県には土佐雨森氏(武家)の後孫となる雨森姓がいる。ルーツをたどると藤原高藤の末裔、藤原高良の三男良高を祖とする。この雨森良高はもと三左衛門良治といったが、父高良より自分の子の証明として与えられた薬籠(名香三種)に橘の紋が付せられていた。これを雨森氏の紋としたとの伝承がある。藤原北家の流れでありながら橘紋というのも不思議だが、あたかも「高良」の名を継承するかのように見えるのは偶然であろうか。

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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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