忍者ブログ
 勝浦川のほとり、天理教勝浦分教会(徳島市飯谷町高良7−3)に隣接する高良神社(飯谷町高良14)を後にして、北上して次なる高良神社へと向かった。応神町古川字高良67に鎮座する高良神社である。吉野川と今切川に挟まれた徳島平野に建てられ、境内には古川集会所があり、保育園や幼稚園が隣接している。

 まず、地名に注目すると、字地名が「高良」となっていることは先の高良神社と同様であるが、「応神(おうじん)町」という町名に驚かされる。通常は天皇名(応神天皇)を地名にすることははばかられるものだ。
 応神町は旧応神村。明治22年の市制・町村制施行にあたり、当時の東貞方・西貞方・古川・中原・吉成の5ヶ村合併の折、明治政府に「応神天皇のゆかりの地ゆえ“応神村”と致したし」と陳情し、明治天皇のご裁可を頂いたという。

 神社合祀令の影響であろうか。大正二年に白山神社 祭神・菊理比売命(くくりひめのみこと)、水神社 祭神・水象媛命などを合祀したとある。扁額にも「六社神社」として合祀された神社名が高良神社の左右に連なっている。珍しいことに、境内には清正公神社がある。
 祭神の武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代にわたり仕えたとされる。『徳島県神社誌』(徳島県神社庁教化委員会、昭和56年)には次のように書かれている。
高良神社 旧村社
徳島市応神町古川字高良六
主祭神 武内宿禰公
例祭 十月十三日
境内地 二二二坪
主要建物 本殿 神楽殿 幣殿 拝殿
清正公神社 神輿庫 社務所
氏子 二〇〇戸
由緒 創立年代不詳。蜂須賀家の家老山崎家代々の尊崇最を篤く、種々口碑として伝えられている。また「放生池」と称するものあり。明治五年村社となる。戦時中は戦争神として知られ、武運長久の祈願でにぎわった。『阿波志』に「高良祠 古川村に在り旧別宮浦に在り其側古松有り一本松神と称す」とあり、また『寛保改神社帳」には「古川村高良大明神 別当古川村持宝寺 神主同富太夫」とある。なお、当神社には「御祓講」と称する崇敬講があり、毎月旧十五日に神社に参集、神前で大祓詞を三度奉唱祭典奉仕のほか、早朝境内の清掃や社殿の美化奉仕をつづけている。
宮司 九鬼勝
實任役員 藤田義徳 坂東真一 藤村邦一
井上丑五郎 藤岡益夫 寺沢喬二 近藤知



拍手[0回]

PR
|HOME| Next ≫
この記事にコメントする
Name:
Title:
Mail:
URL:
Color:
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
Comment:
pass: emoji:Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
09 2026/10 11
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
『土佐史学』創刊号
(土佐歴史学会、2026年1月)
500円
「土佐歴史学会」が『土佐史学』創刊号を発刊。研究論文2本、他。 2015年より開始した土佐歴史再発見研究会、土佐歴史研究交流会、 土佐歴史研究会などの研究会活動を経て、2024年新たに土佐歴史学会を設立。ホームページにも活動紹介あり。今、歴史の扉が開かれる。
最新CM
[10/18 DragoniaAvis]
[10/17 η Neon54 στην τσέπη σου]
[09/21 https://aci-nm.org/]
[09/15 https://Theidf.org/]
[09/15 https://homt.net]
最新TB
プロフィール
HN:
朱儒国民
性別:
非公開
職業:
塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
バーコード
ブログ内検索
P R
忍者アナライズ
忍者ブログ [PR]
Copyright(C) もう一つの歴史教科書問題 All Rights Reserved