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 邪馬台国畿内説のお膝下ともいうべき奈良県の『奈良新聞』が九州王朝説を紹介するようになってきた。日本では放送法第4条に「意見が対立している問題については、出来るだけ多くの角度から論点をあきらかにすること」と明記されている。新聞については特に法の定めはないが、日本新聞協会が定めた新聞倫理綱領に「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」との記述がある。
 古田武彦氏が発表した九州王朝説は、これまで学会ではほとんど無視されてきたきた側面が強く、メディア等でも取り上げられることは少なかった。その風向きが変わりつつあるようだ。
奈良新聞 令和4年(2022年)8月4日(木)に「『古代史の争点』出版記念講演会NARA 2022」を掲載


奈良新聞 令和4年9月22日(木)に「壬申の乱と隠された九州 — 英雄に祭り上げられた天武 正木裕」を掲載
<2022年8月23日(火)、古代大和史研究会での正木氏講演動画>
PDF形式で奈良新聞の記事を掲載(大きさはA3)


 「壬申の乱と隠された九州~英雄に祭り上げられた天武 大阪府立大学講師の正木裕氏が講演」と題する奈良新聞(2022年9月22日)の記事中に紹介された九州王朝説を以下に引用しておく。

◇倭国(九州王朝)の始まりから滅亡までの略史

九州王朝なる言葉の説明も正木氏の言葉を引用し要約・解説しておく。

【①倭人の登場】

 紀元前11~10世紀倭人が周王朝へ朝鮮の箕子を仲介とし朝貢。鬯草を献じ「昧(舞)」を奉納した。
 ―『論衡』に「周の時、天下太平にして、倭人来たりて鬯草を献ず。玄菟楽浪。武帝の時、置く。皆朝鮮・穢貊・句麗の蕃夷。殷の道衰え、子去りて前 絆にく 其の民に歌うるに礼 とある。つまり、紀元前10世紀頃箕子が朝鮮候となり、儀礼や水田耕作・織物技術を教えた。
 ―『礼記』に「昧(マイ)(舞) 東夷の樂なり。…夷蠻の樂を(周公の) 大廟に納む」とある。
 ―『後書』に「(倭奴国の)人自ら大夫と称す」とある。「大夫」は夏、殷、周の官制で、周代で断絶しているのに、後漢の時代になっても、未だに使っている律義さに驚いて記録されている。 

【②九州王朝の始まり】

 紀元前2~3世紀頃朝鮮海峡を拠点とする青銅の武器を携えた勢力が、北部九州の稲作地帯に侵攻し、従来の統治者出雲(大国)から支配権を奪う。国譲りと天孫降臨として記された。
 ―「吉武高木遺跡群(福岡市西区)」から、我が国で最も早く(BC2世紀ごろ)「三種の 神器(鏡・玉・剣)」が出する。
 ―『古事記』邇邇芸命の降臨地「筑紫の日向の高千穂の久土流多気」に見える「日向」地名は高祖連山の古武高木と怡土平野三雲・井原を結ぶ街道にある。(日向山・日向川など)
 ―邇邇芸命の降臨の言葉「此の地は、韓国に向ひ真来通り、笠沙の御前にして、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、甚だ古き地」は半島との窓口怡土平野に相応しい。
 ―高祖連山に「くしふるやま」もある。「黒田家文書」日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。民家の後に、あるを、くしふる山と云。

【③怡土王都時代】

 紀元前後300年間怡土を拠点に統治した。
―『古事記』には「日子穂穂手見命は、高千穂宮に伍石捌拾歳坐す。御陵は、即ち其の高千穂山の西に在り」とある。
 ―「580年間統治」とは「1年を2歳と計算する2倍年暦」で、実質は約300年。「彦火火出見」の名は「襲名」で歴代の王の称号。
 ―「高祖連山」の西の怡土平野には「三雲・平原・井原」などの王墓の遺跡が300年間続き「三種の神器」遺物が出土し、このことを裏付ける。


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 今年(2021年)も春高がやってきた。漫画『ハイキュー』の影響もあってバレーボール人気も高まってきたが、そちらの話題ではない。春野高校、略して「春高」。2月16日(火)から3月28日(日)までの期間 、高知市春野郷土資料館企画展「春野高等学校歴史同好会展示発表」が開催されている。
 近年は戦争関連遺跡の調査などの研究発表が多かったが、今年度は春野地区の「土居」(中世頃、山城付近にあった武家屋敷)についての調査結果の展示がある。テーマが少し身近なところになっており、興味・関心も持ちやすくなった。
 壁新聞「春野をゆけば」の中から県下各地の戦争遺跡についての展示もあり、こちらは昨年までとほぼ同様の内容だろうか。有難いことに、今年は新聞「春野をゆけば」の配布用コピーが置いてあった。以前から「何か持ち帰れる資料があれば嬉しいのだが……」と思い続けて数年が経ち、やっと実現した。というのも、郷土資料館内は撮影禁止になっており、いい内容だと思っても、記録に残せず、紹介するにも限界があったのだ。

 新聞は19号まで発刊されているようで、特に興味を惹かれたのは17号の森山城特集である。埋蔵文化財センターが道路工事に伴う発掘調査を行なったという話は耳にしていた。現地説明会に参加した人の話では、誰の居城か分かっていないとのこと。
 もちろん、吉良氏配下の森山氏の居城であったらしいが、もともとの吉良氏は応仁の乱(1467年)頃までには没落し、森山氏も森に姓を変えたと考えられている。戦国期は長宗我部氏配下の吉良氏が春野一帯を治めることになる。
 会場となっている春野郷土資料館は春野文化ホールピアステージ隣り、春野図書館の2階にある。当ブログでも紹介したことがあるが、大寺廃寺の素弁蓮花文軒丸瓦を展示しているところだ。館長には一度「7世紀ではないですか?」と話をしたことがあるのだが、「8世紀」との表示は変わらず、そのままであった。埋蔵文化財センターからの借り物なので、埋文に責任の所在があるのかもしれない。
 近年は「大学受験に歴史選択は不利」といった風潮も見られるが、損得抜きで歴史を愛する若者たちが育つことを願う。春野高校歴史同好会の活動を心から応援したい。


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 「春高」と言ってもバレーボールじゃないよ。高知県立春野高等学校、略して春高。かつては高知園芸高校と呼ばれていたが、2006年(平成18年)から総合学科を設置し、現校名に改称している。
 卒業して就農する生徒はほとんどいなくなり、農業色を払拭してイメージチェンジを図るための名称変更だったのだろうーーくらいに思っていたが最近の生徒の研究活動がすごい。
  佐賀県で開催された第43回全国高等学校総合文化祭「2019さが総文」(令和元年7月27日~29日)で、自然科学部門研究発表(生物部門)に出場した科学部が「イシダタミの暑さ対策」をテーマに海にすむ巻貝の環境適応について発表し、優秀賞を受賞している。

 そして今年も郷土資料館に春高がやって来た。高知市春野郷土資料館企画展として、春野高校歴史同好会展示発表が2月8日(土)〜3月29日(日)の期間行なわれている。春野郷土資料館は春野文化ホールピアステージ隣り、春野図書館の2階にある。ブログでも紹介したことがあるが、大寺廃寺の素弁蓮花文軒丸瓦を展示しているところだ。
 前年度までの壁新聞『春野をゆけば』の中から戦争遺跡関連のものをピックアップして展示するとともに、今年度もフィールドワークに根付いた研究成果を発表。高知県西部の須崎(回天の基地)、宿毛(旧海軍基地)、土佐清水(震洋特別攻撃基地)の戦争遺跡や、県下各地の城跡・史跡等についての調査結果を展示している。
 このような活動を通じて、春野高校歴史同好会から若き歴史研究家が育つとともに、地域の歴史解明が前進することを期待して止まない。




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 大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』(日曜午後8時)で、主人公・金栗四三は嘉納治五郎を慕って熊本から上京する。「抱っこばしてもらいげー、東京へ行くとけ」とのセリフに思わず、「懐かしか熊本弁ばい」と親近感を抱いてしまった。
 そういえば同じような感覚を、初めて『日本書紀』を読んだ時にも感じたことがあった。「なしてー?」と不思議に思われるかもしれない。『日本書紀』垂仁天皇2年条の分注として、崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したという。そしてこれが「角鹿(つぬが)」の語源であるとしている(角鹿からのちに敦賀に転訛)。
 この「ツヌガアラシト」に遭遇した時に、「これは熊本弁じゃなかとねー」と思わずにはいられなかった。熊本弁で「ツヌガアラシト」とは「角がおありになる人」のことで、まさにそのままの意味である。

 専門家は難しい語源的な解釈を試みているが、まわりくどくて核心に至らない。『盗まれた神話』(古田武彦著、1979年)で論証されているように、『古事記』『日本書紀』の神話は、大部分が九州王朝の史書からの盗用、すなわち古代九州を舞台とした記録だったとすれば……。熊本弁で解釈できる言葉があって当然である。そう感じたのは私が初めてではないと思うのだが……。『熊本弁で読み解く日本書紀』みたいな本はないのだろうか。



「一に云う。崇神天皇の世に、額に角がある人が一隻の船に乗って、越の国の笥飯(けい)浦に泊まった。それで、その土地を角鹿というのである。どこの国の人かと尋ねると、意富加羅国の王子、都怒我阿羅斯等と答えた。またの名は于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)という。日本に聖皇がいるという噂を聞き、帰化しようと、穴門に到った時、その国に伊都々比古(イツツヒコ)という人がいて、我はこの国の王だと言ったが、その人となりを見て、王ではないと思い引き返した。道を知らなかったため、島浦を伝って北海(山口県北部の海)より之(穴門)を廻り、出雲国を経てここに到ったのだと語った。…」
(『日本書紀』垂仁天皇2年条)


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 「春高」と言ってもバレーボールじゃないよ。高知市春野町の春野高校、略して春高はかつて園芸高校と呼ばれていた。卒業して就農する生徒はほとんどなく、農業色を払拭してイメージチェンジを図るための名称変更だったのだろう。
 高知市春野郷土資料館企画展として、春野高校歴史同好会展示発表が2月9日(土)〜28日(木)の期間行なわれている。数年前から開催されるようになって、高校生がこのように郷土史を自分たちの手で調べて発表することに好感を持っている。

 同好会の研究成果として壁新聞「春野をゆけば」の展示がなされているが、No.1「あじさい街道は桜並木だった!」を数年前に見て、非常に注目した記憶がある。たしか、同好会を立ち上げた生徒がとても歴史好きだったらしい。研究テーマとしても身近で親しみやすい。 

 現在のあじさい街道には紫陽花(あじさい)はあるが桜並木はない。戦争を契機に切られてしまったというのだが、なぜ切られてしまったのか?
 小林秀雄の講演会のCDを聞いていると、似たような話があった。とても桜好きで山桜の研究をしてきた男が、奈良県の橿原神宮前の道沿いにボランティアで山桜を植林したが、戦時中に切られてしまったという残念な話である。何か春野町の事例と時代的にも通じるものがあるように感じた。


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   県内大手の本屋さんで、「明石書店の『古代に真実を求めて 第21集』はいつ発売になりますか?」と聞いてみた。一生懸命調べてくれたが、ノー・インフォメーション。何も情報がないとのこと。
   もうすぐ発売ではないんかーい。出たとこ勝負ということか?
   県立図書館には『古代に真実を求めて 第20集』はあったが、第21集は置いてくれるだろうか? 移転のため7月まで休館中なので、微妙な感じである。

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 ボナンザが佐藤天彦名人に2連勝した。AI将棋が人類代表に勝利した瞬間であった。
 AIは今や将棋以外の様々な分野でその能力を発揮しつつある。それに恐れを抱く人々もいるだろう。しかし、AIが登場したことによって、良心的な人は非常に本質的なことに気付きつつある。それは人間がいかに先入観に囚われすぎていたかということだ。「自分が正しい」という囚われーー経験や学識、伝聞などに拠るものもあるかもしれないーーそれがいかに真実を見つめる目を曇らせていたことか?
 歴史を省みればAIの登場に匹敵するようなことは何度かあった。日本人にとっては黒船来航がよい例かもしれない。そこで直面した事実を謙虚に受け止めた者たち(坂本龍馬もその一人になるだろうか?)が新しい歴史を切り開いていったように思える。
 将棋界でも早速AIを勉強に取り入れた藤井聡太四段。14才という若さゆえに、先入観や囚われも少なかったかもしれない。前人未到の29連勝を達成し、これからもイチロー並みに記録を塗り替えていくことだろう。


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『探訪―土左の歴史』第20号 (仁淀川歴史会、2024年7月)
600円
高知県の郷土史について、教科書にはない史実に基づく地元の歴史・地理などを少しでも知ってもらいたいとの思いからメンバーが研究した内容を発表しています。
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[10/12 服部静尚]
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朱儒国民
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非公開
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塾講師
趣味:
将棋、囲碁
自己紹介:
 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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