2018年2月7日のことだった。市民図書館で史料を確認中に天啓があった。「やはりこれで間違いない」ーー土佐の九州年号(倭国すなわち九州王朝が使用していた年号)実在の論証が見えた瞬間であった。
『越知町史』(越知町史編纂委員会、昭和五十九年)に「日下小村天神の社伝記には、敏達天皇の勝照二年(西暦五七三、大化以前の公称年号)に始まり、天平宝字三年(七五九)吾川郡神ノ谷杉ノ端より移るとの記録もある」とある。高知県高岡郡日高村にある小村(おむら)神社の鎮座が「勝照二年」であると社伝記に記録されているというのだ。
社記には確かに「正一位二宮小村大天神者、天平宝字三年、吾河郡神谷杉ノ端より高岡郡日下村ニ御鎮座也」(『南路志 第三巻』123頁)とあるが、「勝照二年」という年号は見えない。
小村神社の祭神は国常立尊であり、看板やパンフレットには用明天皇二年(五八七年)鎮座の国史現在社と紹介されている。国史現在社というのは、延喜式内社ではないが、『日本三代実録』貞観十二年(八七〇年)三月五日条の授位記事に「小村神従五位上」と見えることによる。小村神社には御神体として七世紀前半のものとされる国宝・金銅荘環頭大刀が伝世されており、周辺には古代~近世の掘建柱様式の建物跡(千本杉遺跡、宮の内遺跡等)が検出され、平成7年に境内から銅鉾が出土するなど、その歴史の古さを物語っている。
ところで、用明天皇二年始鎮の根拠はどこにあるのだろうか。『越知町史』との齟齬(そご)をどう解釈すればいいのだろうか?
(続く)
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三豊市詫間町浪打八幡神社関連の古文書にも九州年号の記載があります
貴楽元年(551)賢称二年(577)鏡常二年(582)勝常三年(587)端正五年(593)
吉貴五年(598)の記載が神社創祀者高村親王後裔南海道学館院別当長尾家の「長尾三家由緒」に上記の記載があります。上記神社は604年創建の由緒を持っております。参考までに
吉貴五年(598)の記載が神社創祀者高村親王後裔南海道学館院別当長尾家の「長尾三家由緒」に上記の記載があります。上記神社は604年創建の由緒を持っております。参考までに
Re:三豊市詫間町浪打八幡神社関連の古文書にも九州年号の記載があります
>貴楽元年(551)賢称二年(577)鏡常二年(582)勝常三年(587)端正五年(593)
>吉貴五年(598)の記載が神社創祀者高村親王後裔南海道学館院別当長尾家の「長尾三家由緒」に上記の記載があります。上記神社は604年創建の由緒を持っております。参考までに
>
貴重な情報をありがとうございます。
三豊市には高良神社が多く、調査にも足を運びました。詫間町浪打八幡神社にも行きました。詳しく調べてみたいところです。
また、色々と教えていただけたら幸いです。
>吉貴五年(598)の記載が神社創祀者高村親王後裔南海道学館院別当長尾家の「長尾三家由緒」に上記の記載があります。上記神社は604年創建の由緒を持っております。参考までに
>
貴重な情報をありがとうございます。
三豊市には高良神社が多く、調査にも足を運びました。詫間町浪打八幡神社にも行きました。詳しく調べてみたいところです。
また、色々と教えていただけたら幸いです。
長尾三家由緒 原文の抜粋です
夫レ人皇三十代、欽明天皇、第二ノ王子ヲ、号ス二敏達天皇ト一。后キ四人、御子男子六人、女子四人、御在。斯ノ王者、年六十七ニシテ、勝照元年乙巳(五八五)八月ニ崩御也。御世ハ、第四之舎弟ニ、御即位在。人皇三十二代帝、号ス二用明天皇ト一。斯ノ皇ノ母者、堅塩ノ姫、蘇我稲目大臣ノ、女也。敏達天皇之王子、男子六人迄、御在ニ、御世、不ル 二渡給一㕝、無二本意一㕝ニ、思召共、依 テレ難 キニレ背キ下父大王命ヲ上、尊崇スル㕝、如シ二在世ノ一。此帝、用明天皇之、御子、上宮太子、迚モ利根聡明之、王子ニ御坐。斯ノ太子者、八人ノ奏問スル㕝、諦聞召分依、異名号ス二八耳太子ト一。御代迄者、日本三十三ケ國也。鏡常二年癸卯(五八二)、八耳太子、用明天皇ニ、有テ二奏聞一、六十六ケ國ニ、国ヲ分チ、此ノ時分迄、日本モ、仁義禮智信ト、云㕝ヲ、不レ知。佛法僧之、三寶ヲ、信㕝モ、不レ知。人皇二十九代、宣化天皇之、御宇迄者、佛法、未タ二我朝ニ来ス一、故ニ、仏ノ名字ヲ、無シ二聞人ト一、依テレ去ニ、無ク下恐ル二罪業ヲ一人ト上、無レ修行二善根一。親ヲ不レ知二孝養一、不レ辨二善悪ノ業ヲ一、持律齋戒不レ知二作法ヲ一、無シ二念佛読経態一、大國之帝、歎キレ是ヲ、人皇三十代、欽明天皇之、御宇、貴樂元年壬申(五五一)十月十三日、大唐百齋国之、從リ二聖明王一、金銅之釈迦並ニ、経論・幢幡・宝蓋・宝瓶之佛具杯、被レ為二贈一共、佛之功徳、聖教談義信モナシ、三寶、不二供養セ一、佛教随喜セス。唯、闇夜之、錦ニ而、侍レハ、人皇三十一代帝、敏達天皇、御宇、賢稱二丁年丁酉(五七七)十一月ニ復、百齋國ノ帝ヨリ、経論並ニ律師、禅師、比丘、咒禁師、佛造工、寺造工、以上六人渡ケル、太子六歳ノ時也。翌年七歳之時、経論、有二披覧一、選ビ二六齋日ヲ一、勅レ詔ヲ下シ二諸国ニ一、普ク禁断ス二殺生ヲ一、敏達天皇、第六之王子ハ、好ミレ悪、嫌ウノレ善ヲ、輩成ルガ、是等者、太子ノ、法度ニ、違背スル、悪人也。
爰ニ、弓削守屋トテ、用明天皇ニ、宮仕シテ有シガ、心勇ニシテ、昵ケ二悪人ヲ一、嫌ウ二智謀ヲ一、奴原成、進出、云様ヨリ窘ナシ、昨年者、悪病起テ、人多死ス㕝。是モ、太子、国ニ始テ、三寶哉覧、取リ行セ給フ故也ト。諸人耳ニ、咡キ訇ケル。斯処ニ、勝照三年丁未ニ(五八七)用明天皇、崩御、被レ成タレハ、好ム所ノ、境節ナリトテ、敏達天皇、第六之王子、号ス二武村将軍ト一、守屋ヲ近付、數萬之、集メ副二軍兵ヲ一、御甥聖徳太子ヲ、失レ奉ラント二數ケ度一。勝照三年丁未七月、子ノ運命、天哀ト思哉覧。勝照三年丁未七月ニ、太子十六歳ニシテ、守屋ヲ、退治シ、給ヘハ、武村、秘スレ身ヲ、無レハレ所、去方不レ知、成ニケリ。爰ニ、讃岐ノ國三野郡詫間ト、云處ハ、如何成、所縁ノ、隠地ナレハ、一所懸命ノ、取成トテ、城郭ヲ拵テ、居住ヲ経ル。無レ程、都者、静謐ニメ、帝ヲハ、欽明天皇、第一之王子、御即位有テ、人皇三十三代ノ帝ヲハ、号ス二崇峻天皇ト一。然共、御治世ノ間、有二六年一、端正四年壬子(五九二)十月ニ、蘇我大臣ニ、殺サレテ、失給ウ。三十四代ノ帝ヲハ、翌年端正五年癸丑(五九三)、有テ二御即位一、号ス二推古天皇ト一。此帝ハ、武村之爲ニハ、母ニテ、御坐ハ、吉貴五年戊午(五九八)、武村ニ、綸紙ヲ、差下テ、詫間、庄内、近郷隣所ヲ、可キ二領知トス一、由之、宣旨ナレハ、住メ二安堵ノ思ニ一。以来、弓馬道ヲ、懸レ心給共、其身無㔟ナレハ、家貧メ意者、雖モレ馳リ二千騎万騎ヲ一、次第ニ衰ヘ、寂莫トメ、聞シハ、昨日、今日ハ勝リケリ。(長尾三家由緒・福成寺系図書・盛衰記)
爰ニ、弓削守屋トテ、用明天皇ニ、宮仕シテ有シガ、心勇ニシテ、昵ケ二悪人ヲ一、嫌ウ二智謀ヲ一、奴原成、進出、云様ヨリ窘ナシ、昨年者、悪病起テ、人多死ス㕝。是モ、太子、国ニ始テ、三寶哉覧、取リ行セ給フ故也ト。諸人耳ニ、咡キ訇ケル。斯処ニ、勝照三年丁未ニ(五八七)用明天皇、崩御、被レ成タレハ、好ム所ノ、境節ナリトテ、敏達天皇、第六之王子、号ス二武村将軍ト一、守屋ヲ近付、數萬之、集メ副二軍兵ヲ一、御甥聖徳太子ヲ、失レ奉ラント二數ケ度一。勝照三年丁未七月、子ノ運命、天哀ト思哉覧。勝照三年丁未七月ニ、太子十六歳ニシテ、守屋ヲ、退治シ、給ヘハ、武村、秘スレ身ヲ、無レハレ所、去方不レ知、成ニケリ。爰ニ、讃岐ノ國三野郡詫間ト、云處ハ、如何成、所縁ノ、隠地ナレハ、一所懸命ノ、取成トテ、城郭ヲ拵テ、居住ヲ経ル。無レ程、都者、静謐ニメ、帝ヲハ、欽明天皇、第一之王子、御即位有テ、人皇三十三代ノ帝ヲハ、号ス二崇峻天皇ト一。然共、御治世ノ間、有二六年一、端正四年壬子(五九二)十月ニ、蘇我大臣ニ、殺サレテ、失給ウ。三十四代ノ帝ヲハ、翌年端正五年癸丑(五九三)、有テ二御即位一、号ス二推古天皇ト一。此帝ハ、武村之爲ニハ、母ニテ、御坐ハ、吉貴五年戊午(五九八)、武村ニ、綸紙ヲ、差下テ、詫間、庄内、近郷隣所ヲ、可キ二領知トス一、由之、宣旨ナレハ、住メ二安堵ノ思ニ一。以来、弓馬道ヲ、懸レ心給共、其身無㔟ナレハ、家貧メ意者、雖モレ馳リ二千騎万騎ヲ一、次第ニ衰ヘ、寂莫トメ、聞シハ、昨日、今日ハ勝リケリ。(長尾三家由緒・福成寺系図書・盛衰記)
Re:追伸修正
原文をお送りいただきありがとうございます。とても貴重な史料です。とりわけ九州年号がこれほど使用されているのは重要な意味がありそうです。
よく考察してみたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
よく考察してみたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
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朱儒国民
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非公開
職業:
塾講師
趣味:
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自己紹介:
大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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