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 南海道土佐国の古代官道については、718(養老二)年以前は伊予国経由の西回りであったものが、718年に阿波国経由の野根山街道を経由するルートに変更された。この「南海道の付け替え」は九州王朝から大和朝廷への政権交代によるものとする指摘は、701年のONラインの実在を大きく印象づけるものであった。
香南市の高田遺跡で古代南海道の遺構か?
 2018年に香南市野市町の高田遺跡で発見された推定古代官道跡は、南国市の土佐国府から安芸郡方面へ伸びていることから、当然ながら大和朝廷主導で敷設された阿波国を経る古代官道(養老官道)と考えられている。私も当初そのように考えていたが、一つ矛盾する点がある。高田遺跡で見つかった古代官道の幅が10.35mであったことだ。
高麗尺やめませんかーー古代官道の幅10.35m
 当時は深く考えず、むしろ高知新聞の記者が高麗尺を持ち出したことに批判的であった。ところが、『事典 日本古代の道と駅』(木下良著、2009年)に次のように書かれていた。
 「地方では諸道の駅路が七世紀のものが10メートルから11メートル、奈良時代には12メートル・9メートルのことが多く、駅路以外の郡家間を繋ぐとみられ、著者が伝路と称している道路は6メートル前後であるが、平安時代に入ると駅路も6メートルになることが多い」(P6~7)。
 木下良氏の記述に従えば、幅10.35mの古代官道は10~11mに納まるので、7世紀代に建設されたことになる。これは九州王朝時代の規格なのではないか。もし奈良時代に敷設されたのであれば、大和朝廷主導の12メートルないしは9メートル幅の規格になるはずだ。
 高田遺跡周辺には弥生時代から古代(奈良・平安時代)にかけて営まれた遺跡が所在している。ところが、古代のあとに続く中世(鎌倉・室町・戦国時代)の遺構や遺物はほとんど確認されていない。このことは796(延暦十五)年、国府から北に向かう北山越え(大豊、川之江方面経由)に官道(延暦官道)が変更されたことと対応しているようだ。
 だが、始まりが8世紀代とは言い切れない。高田遺跡からは、「平成27〜28年度の調査の結果、弥生時代の竪穴建物跡8軒と土器棺墓6基、古代の掘立柱建物跡24棟のほか、土坑や溝跡などが確認されました。遺物は弥生時代の土器や石器、古代の須恵器や土師器・土師質土器の他、金属製品や円面硯(えんめんけん)、緑釉(りょくゆう)・灰釉(かいゆう)陶器などが出土しました」との報告がある。
 一方、安芸市僧津の瓜尻遺跡が7世紀のものとされ、最大級の古代井戸跡も発見されている。少なくとも7世紀には土佐国府と安芸郡衙(評衙?)を繋ぐ古代官道が存在していたのではないだろうか。ただし、安芸郡と阿波国を結ぶ古代官道はまだなかったようだ。
 「伝えられるところによりますと、養老二年官道開設の許可によって、翌、養老三年(719)から道路開設工事が始まり、五年後の神亀元年(724)に完成した」と『土佐の道 その歴史を歩く』(山崎清憲著、1998年)で紹介されている。

 このことは大和朝廷一元論では不思議とされてきたことであるが、九州王朝を起点とした古代官道は伊予ー讃岐ー阿波と通じており、一方で伊予ー土佐ルートもあったので、必ずしも土佐から阿波へと連結している必要性はなかったと言える。
 土佐国府から阿波国へ、全くのゼロから古代官道を新設するとなれば一大事業であり、莫大な費用もかかることだろう。今後の研究・調査が待たれるところではあるが、今回の帰結が正しいとすれば、「道ありき」「ローマは一日にして成らず」だったということである。



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古代官道(南海道)における道幅の謎
侏儒国民さんへ
肥沼です。
「古代官道(南海道)の謎解き」と聞き,
「肥さんの夢ブログ」で挑戦してみました。
ぜひご覧下さい。
肥さん URL 2021/04/15(Thu)16:22:14 編集
Re:古代官道(南海道)における道幅の謎
>侏儒国民さんへ
>肥沼です。
>「古代官道(南海道)の謎解き」と聞き,
>「肥さんの夢ブログ」で挑戦してみました。
>ぜひご覧下さい。

関心を持っていただき、ありがとうございます。
方位の考古学からアプローチした記事、読ませていただきました。
さらにデータを収集する必要がありますが、718年の南海道付け替えに関して、『続日本紀』には大和朝廷が新道を作ったとか駅家(うまや)を新設したとは書かれていません。土佐国からの申し出を許可したという内容です。
聖武天皇の詔と同じように、九州王朝時代の遺産をそのまま利用した可能性があるのではないでしょうか。
2021/04/16 00:18
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朱儒国民
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塾講師
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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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