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 『古代を考える――古代道路』(木下良編、1996年)の一節に「大宰府を介して宮都に結び付いていた西海道を除けば、ほかの六道の官道はすべて宮都と各国を結合するものであった。したがって宮都の移動は、当然のことながら官道のルートにも大きな影響を与えた」とある。西海道だけは特殊であったということを、近畿王朝一元史観の学者たちも認めざるを得なかった。発掘によって分かってきた古代官道の広がりは、九州においては太宰府を中心に六道が伸びていたのである。大和朝廷に先行する九州王朝が実在したとすれば、おそらく太宰府付近を首都としていたことが予想される。太宰府は単なる地方の出先機関などではなかったのだ。
 大和朝廷一元支配が始まるのが701年以降であり、710年(なんと見事な平城京)こそがまさに九州から近畿へという宮都の大規模な切り替えであった。それに伴って、南海道土佐国に通じる官道に変化が起こる。

 「土佐国申 公私の道 直土左指 其道伊予国経行程迂遠山谷険難 但阿波国境出相接往還甚易 請此国就為通路以許之」(『続日本紀』養老二年<七一八年>五月七日条)
 718年以前は伊予国経由であったものが、阿波国経由へと付け替えられることになったのだ。まさに「宮都の移動は、当然のことながら官道のルートにも大きな影響を与えた」わけである。
 718年以降の阿波国ルートはいくつかの説が出されていたが、「阿波国那珂郡武芸駅・薩麻駅」の名称が記された平城宮出土木簡(『木簡研究』九)も見つかって、ほぼ野根山越えのコースであったという結論に落ち着いている。問題は伊予国経由のルートである。従来は仁淀川に沿うような国道33号線に近いコースも考えられていた(金田章裕「南海道」藤岡謙二郎編『日本歴史地理総説』古代編。日野尚志「南海道の駅路」『歴史地理学紀要』二〇。栄原永遠男『奈良時代流通経済史の研究』など)が、近年は宿毛市・四万十市など幡多郡を通る海岸付近の道であったとする足利健亮説が有力視されている。
 そこで検討材料となるのが“古代官道上にある「みさか」峠”である。前回“古代官道上にある「みさか」峠①”で紹介したように、全国的に見ても、古代官道上に「御坂峠」のような「みさか」地名が多く見られるという。それが愛媛県にも存在している。松山と高知を結ぶ国道33号線の途上に「三坂峠」がある。この峠道は古くから松山と高知を結ぶ主要陸路として土佐街道(松山街道)と呼ばれ、利用されてきた。そして松山市の海岸には三津浜(三津)という古くから交易に利用されてきた港もある。これらは古代においては「御坂」と「御津」でセットだったのでなかいかと推測する。
 『延喜式』段階の南海道淡路・四国の駅家と官道については、細部を除けば、従来の研究者の見解がほぼ一致していると言ってよい。阿波国・讃岐国・伊予国の今治まではおよそのルートが分かっている。さらに『新説 伊予の古代』( 合田洋一著、2008年)の第九章「風早に南海道を発見――上難波・下難波の地名考察を通して」の中で、今治の「国府から旧玉川道を経て松山まで古代官道が延びていたことが判明した」との発見を伝えている。

 それが間違いないとすれば、三津浜は豊後水道を渡る渡津地点であった可能性があり、九州王朝時代の古代官道において、太宰府から豊後、豊後水道を渡って三津浜、そこから北へ向かえば伊予国の国府(今治)へ。他方、三坂峠を越えて土佐国へと通じていたのではないだろうか。この港の位置と道路網は、畿内を基点とすれば明らかに非効率であり、九州を基点としてこそ合理的な配置であることが理解できる。
 やはり九州王朝時代の古代官道上に「三坂峠」はあったと推測する。さらに古代官道との関連が指摘されている「オオサカ」「坂本神社」などについても検証していきたい。




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 大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
 算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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