今年も6月30日がやって来た。高知県では「輪抜け様」と呼ばれるお祭りの日である。一年の半分が過ぎて、2026年は珍しいことに満月の輪抜け様。一般的には「夏越の大祓」などと呼ばれる。
この儀式はいつ頃から始まったのだろうか。九州大学のキャンパス移転に伴って発掘された元岡・桑原遺跡から珍しい木簡が出土している。
この儀式はいつ頃から始まったのだろうか。九州大学のキャンパス移転に伴って発掘された元岡・桑原遺跡から珍しい木簡が出土している。
元岡・桑原遺跡群第15次調査出土木簡
凡人言事解除法 進奉物者 人方七十七隻 馬方六十隻 須加水船四隻 弓廿張 矢四十隻 五色物十柄 □□多志五十本 赤玉百□ 立志玉百□□□二柄 酒三 米二升 栗木二□ □木八束
『古代木簡の世界 木簡がひらく古代史』(森公章、2025年)
「人方七十七隻 馬方六十隻」と漢字表記は違うけれども、人形・馬形の形代や武器・布・玉・食料など「解除」執行に用いる物品を列記し、合点で照合したもので、後代の『延喜式』などに記される古代の大祓の祓具と共通する品目が見え、律令制初期に地方で挙行された儀礼の具体的内容を知る上で重要な史料になっている。
現代においても、祓の具として人形(ひとがた)を使い、半年間の身についた“けがれ”を祓い清める夏越祭のような儀式が古代から行われていたことが伺い知れる一級史料である。
参考までに紹介すると、元岡・桑原遺跡群からは前方後円墳6基、群集墳(円墳)50基以上、縄文・弥生・古墳・古代・中世等各時期の集落遺跡や山城、50基を超える日本最大級の製鉄炉跡、「大宝元年(701年)」が記載された木簡が発見されている。
参考までに紹介すると、元岡・桑原遺跡群からは前方後円墳6基、群集墳(円墳)50基以上、縄文・弥生・古墳・古代・中世等各時期の集落遺跡や山城、50基を超える日本最大級の製鉄炉跡、「大宝元年(701年)」が記載された木簡が発見されている。
また、元岡古墳群から発見された金象嵌有銘鉄刀「庚寅銘大刀(こういんめいたち)」は1400年前の鉄製の刀で、刻み込んだ部分に金をはめ込む「金象嵌(きんぞうがん)」という手法で19文字が記されている。この文字から、西暦570年1月6日にこの大刀が作られたことが分かる。
輪抜け様で穢れを祓い落とすなど、ナンセンスと考える人がいるかも知れないが、パソコンやスマホもキャッシュがたまってくるとメモリが圧迫されて動きが鈍くなってくる。そんなときはクリーンアップして本来のパフォーマンスを取り戻すようにする。そんなものなのかもしれない。
大祓詞に登場する瀬織津姫は、祓戸四神の一柱で、水の力で罪や穢れを川から海へ流し去る「祓(はらえ)と浄化」の女神とされる。主に大祓などの祓えの儀式や、祓戸社・祓戸神社などでその働きが意識されている。
大祓詞に登場する瀬織津姫は、祓戸四神の一柱で、水の力で罪や穢れを川から海へ流し去る「祓(はらえ)と浄化」の女神とされる。主に大祓などの祓えの儀式や、祓戸社・祓戸神社などでその働きが意識されている。
参考までに夏越の祓「輪抜け様」実施神社一覧を紹介しておく。年々グレードアップしてきており、正確でないところもあるかもしれないが、役立ててもらえたら幸いである。
夏越の祓「輪抜け様」実施神社一覧
<神社名> <現住所>
土佐神社 高知市一宮しなね2丁目16−1
朝倉神社 高知市朝倉丙2100−イ
石立八幡宮 高知市石立町54
出雲大社土佐分祠 高知市升形5-29
潮江天満宮 高知市天神町19-20
多賀神社 高知市宝永町8-36
小津神社 高知市幸町9-1
郡頭神社 高知市鴨部上町5−8
三所神社 高知市神田358−1
高知大神宮 高知市帯屋町2丁目7−2
高知八幡宮 高知市はりまや町3丁目8−11
仁井田神社 高知市仁井田3514
大川上美良布神社 香美市香北町韮生野243
八王子宮 香美市土佐山田町北本町2-136
山内神社 高知市鷹匠町2-4-65
若宮八幡宮 高知市長浜6600
愛宕神社 高知市愛宕山121-1
薫的神社 高知市洞ヶ島町5-7
鹿児神社 高知市大津乙3199
清川神社 高知市比島町2丁目13−1
天満天神宮 高知市福井町917
本宮神社 高知市本宮町94
多賀神社 高知市宝永町8−36
掛川神社 高知市薊野中町8-30
六條八幡宮 高知市春野町西分3522
仁井田神社 高知市北秦泉寺
熊野神社 南国市久礼田2213
剱尾神社 南国市浜改田2465
椙本神社 吾川郡いの町大国町
三島神社 土佐市高岡丁天神
久礼八幡宮 高岡郡中土佐町久礼
賀茂神社 須崎市多ノ郷甲1780
不破八幡宮 四万十市不破
常栄神社 四万十市具同8712番
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2024年3月17日と24日に「NHKスペシャル古代史ミステリー」と題して、第1集では「邪馬台国」(「邪馬台国の謎に迫る」)、第2集では「倭の五王」(ヤマト王権 空白の世紀)に関する番組が放映された。
番組は「私たちの国のルーツを解き明かす壮大なミステリー」と打ち上げていたが、その内容は一貫して「邪馬台国大和説・倭の五王ヤマトの大王説」に基づくものだった。古田武彦氏の唱える「邪馬壹国九州説・倭の五王九州の大王説」などなかったかのように無視され、また近年の発掘の成果も十分に反映されておらず、NHKの編集方針の問題点が『新古代学の扉』で指摘されている。
古田史学会報 181号 182号
緊急投稿
「不都合な真実に目をそむけたNHKスペシャル」(上) 正木裕
「不都合な真実に目をそむけたNHKスペシャル」(上) 正木裕
多元的古代研究会・古田史学の会 創立30周年記念講演会 2024年10月27日(日) 文教区民センター
不都合な真実に目をそむけたNHKスペシャル古代ミステリー
正木裕
https://www.youtube.com/watch?v=lQ69r-ANihE
とは言うものの、古田説が全く無視されているわけでもない。『日本古代史研究辞典』(阿部猛・義江明子・槇道雄・相曽貴志編、1995年)は飛鳥・奈良・平安・通時代・宗教文化・史料論の6章に分け135テーマを収め、研究史の整理、重要文献・論文の紹介、今後の研究課題を提示。執筆は94氏が分担。研究者に必携のハンドブックである。この中に古田説が紹介されている。「邪馬台国」「倭の五王」問題において、次のように記述されている。
とは言うものの、古田説が全く無視されているわけでもない。『日本古代史研究辞典』(阿部猛・義江明子・槇道雄・相曽貴志編、1995年)は飛鳥・奈良・平安・通時代・宗教文化・史料論の6章に分け135テーマを収め、研究史の整理、重要文献・論文の紹介、今後の研究課題を提示。執筆は94氏が分担。研究者に必携のハンドブックである。この中に古田説が紹介されている。「邪馬台国」「倭の五王」問題において、次のように記述されている。
邪馬台国積極的に評価する内容ではないが、『日本古代史研究辞典』と銘打っている以上、古田説をも網羅的に扱わないわけにはいかなかったのだろう。
古田武彦「邪馬壹国」は、『三国志』版本の「邪馬壹国」が正しく「邪馬臺国」に改訂してはならないとする。しかし『三国志』が写本で伝えられていた時代の『隋書』(六三六)や『太平御覧』(九八三)が引用する『魏志』倭人伝の本文は「臺」である。その間の『梁書』『通典』も「臺」である。古田はこの事実を五世紀前半の范曄『後漢書』が『三国志』の「壹」を「臺」と改めた結果と解釈するのだが、范曄の「改訂」は証明されてはいない。(p3〜4)
倭の五王
逆に記紀に記載されていない「王」を想定する説、さらには五王を九州王朝の王とみなす説(古田武彦)もある。(p14)
久しぶりに『日高村史』を開くと、小村神社に関して「古い同社々伝記には、敏達天皇の勝昭二年(西暦五七三、大化以前の公称年号)に初まり、天平宝字三年(西暦七五九)吾川郡神ノ谷杉ノ端より移るとの記録がある。」(『日高村史』p13)との記述に目が止まった。「勝昭二年」という年号が書かれている。おそらく「勝照」が正しいのではないかと思っていたところ、同書272ページには次のように書かれている。

これに対して「小村社造替勧縁疏」では「按古来所傳、小村大天神者、用明天皇二年始鎮坐當國」と考察されており、江戸時代前期の儒者・谷重遠(号は秦山、1663~1718年)は、著書『土佐遺語』(一七〇八年頃成立)において「勝照」表記を用いており、「勝照二年=用明天皇二年(587年)」説をとっている。
他方、『土佐国群書類従 巻一』『高岡郡日高村資料調査報告書』など、「當天神者去勝寶二年當國御影向」と記載している活字本も多い。年号部分は「勝寶二年(750年)」である。
また一説に、当社は敏達天皇の勝照二年(五七二)に創建された。後天平宝字三年(七五九)に神ノ谷杉ノ端より日下に移り鎮座したとの説もある。北朝貞和三年(南朝正平二年)の棟札に「上棟正一位小村大天神造替云々、当天神宮は去勝照二年当国御影向之後、天平宝子三年被始行御舟遊畢云々」とあり、「勝照」は公称の年号ではないけれども、大化以前の奇僻の年号と史伝に散見され、勝照は敏達天皇の御宇という。(『日高村史』272ページ)この内容は『越知町史』にも踏襲されており、両町史の編纂に携わった明神健太郎氏の見解ではないかと推察する。ただし『越知町史』では「敏達天皇の勝照二年(西暦五七三、大化以前の公称年号)」と修正されている。「勝照二年=敏達天皇二年(西暦573年)」説である。
これに対して「小村社造替勧縁疏」では「按古来所傳、小村大天神者、用明天皇二年始鎮坐當國」と考察されており、江戸時代前期の儒者・谷重遠(号は秦山、1663~1718年)は、著書『土佐遺語』(一七〇八年頃成立)において「勝照」表記を用いており、「勝照二年=用明天皇二年(587年)」説をとっている。
他方、『土佐国群書類従 巻一』『高岡郡日高村資料調査報告書』など、「當天神者去勝寶二年當國御影向」と記載している活字本も多い。年号部分は「勝寶二年(750年)」である。
岡本健児氏もまた「小村神社の仁治・貞和の棟札」と題する論考(『伊野史談50号』伊野史談会、平成12年3月)において、墨書は摩滅が著しく赤外線照射によって棟札に記された文字を確認し、「勝寶二年」と判断している。

このように史料によって表記が異なり、議論が分かれるところだが、かつての小村神社の宮司が重要な証言を残している。『高知県高岡郡日高村下分鎮座 土佐二の宮小村神社誌』(小村神社々務所 宮司高橋尊幸、昭和53年盛夏)に次のようにある。
このように史料によって表記が異なり、議論が分かれるところだが、かつての小村神社の宮司が重要な証言を残している。『高知県高岡郡日高村下分鎮座 土佐二の宮小村神社誌』(小村神社々務所 宮司高橋尊幸、昭和53年盛夏)に次のようにある。
北朝貞和三年(南朝正平二年)十一月十五日の棟札に、上棟正一位小村大天神造替云々当天神宮者去勝照二年当国御影向後、天平宝子三年被始行御舟遊云々(後記棟札参照のこと)
とあり、「勝照」は公称の年号でないけれど、大化以前奇僻の年号と史伝に散見され、敏達天皇十四年より用明天皇を経て崇峻天皇元年に至る間の私年号であって、勝照二年は用明天皇二年である。当社の棟札の写及び南路志に「勝照」を「勝宝」と記載してあるのは重大な誤りであって、「高知県史考古資料編神社明細帳」及び「日高村史」の棟札に記載されている「勝照」の年号が正確である。
「わが意を得たり」である。『南路志』に「勝照」を「勝宝」と記載してあるのは誤りであって、「勝照」の年号が正確だというのだ。「勝照」は敏達天皇十四年(585年)より用明天皇を経て崇峻天皇元年(589年)に至る年号である。近畿天皇家以外に年号なしとの通説から「敏達天皇二年」や「用明天皇二年」に当てるのもいかがなものか。やはり「勝照二年」は勝照二年として扱うべき年号なのである。
『愛媛県神社誌』(愛媛県神社庁編、昭和49年)によると、愛媛県には高良神社(高良玉垂を含む)が11社あることになっている。支部名で松山3社、南宇和2社、新居浜、西条、周桑、忽那、伊予、宇和島各1社。全て境内社となっている。島嶼部や宇和島などはなかなか行く機会がないだろうと思っていたが、不思議な縁で2月14日(土)に宇和島市を訪れることになった。ちょっと中心地からは離れていたが、思い切って高良神社を訪ねてみることにした。

宇和島市(旧北宇和郡)津島町高田乙九二番地に旧郷社、(高田)八幡神社が鎮座する。そこの境内社が昔は高良神社と呼ばれていたというのだ。

宇和島市(旧北宇和郡)津島町高田乙九二番地に旧郷社、(高田)八幡神社が鎮座する。そこの境内社が昔は高良神社と呼ばれていたというのだ。
八幡神社 旧郷社
神紋 丸に橘
【主祭神】 應神天皇
【配神】神功皇后、宗像三女神
【境内神社】 得寿森神社(高良玉垂命、天照大御神、須佐之男命他四三座)
【例祭】 一一月三日
【本殿】 切妻造瓦葺、間口五間 奥行四間 二〇坪(霧囲とも)
(途中省略)
【氏子】 二〇〇戸![]()
【宝物】 童形御神像、高田八幡文書、瓶子(以上県指定文化財)、棟札二枚、獅子頭(以上町指定文化財)、太刀
【由緒沿革】戦国時代の領主及び南朝方武将の崇敬が篤く、当社に残る願文、寄進状など古文書は、重要文献である。当初は、高田の誉田森に鎮座、次で松ヶ崎、得寿、得寿森と奉遷した。崇徳天皇の天治二年に社殿再建、鎌倉及び室町時代に津島郷領主越智通孝、通顕により社殿を再興、現在の本殿は貞享五年の建築になり、昭和三九年一〇月に本殿屋根、拝殿、中殿を改築した。![]()
得寿森神社(境内神社) 初め高良神社と称したが、明治四二年四月に部落の全社と近郊の小社を合祀して得寿森神社と改称した。昭和三九年一二月に社殿を改築した。(『愛媛県神社誌』P574~575)
【由緒沿革】から読み取れるのは、かつては高良神社と呼ばれていて、一町村一社を原則とする神社合祀令の際に近隣の小社を合祀して得寿森神社と名称変更したことだ。とりわけ愛媛県は三重県や和歌山県と並び、明治39年の神社合祀令の影響を強く受けて神社数が大幅に減少している。八幡神社は別の場所に鎮座していたものが、最終的に高良神社の境内地に遷座してきたのではないかということが伺える。
現地を訪れても高良神社どころか得寿森神社という神社名すら出ていない。隣接する地に護国山金龍禅寺が建っていたので、庭の掃除をしていた人に境内社のことを質問してみた。八幡神社のことは知っていたが、境内社のことまではご存じなかった。ここでもまた「消えた高良神社」現象が起きていたのである。
現地を訪れても高良神社どころか得寿森神社という神社名すら出ていない。隣接する地に護国山金龍禅寺が建っていたので、庭の掃除をしていた人に境内社のことを質問してみた。八幡神社のことは知っていたが、境内社のことまではご存じなかった。ここでもまた「消えた高良神社」現象が起きていたのである。
新春講演会
風土記が秘した歴史
古代に真実を求めて第28集
『列島の古代と風土記』出版記念講演会
期日
『列島の古代と風土記』出版記念講演会
期日
2026年1月18日(日)
午後1時20分から午後5時まで
会場
大阪府茨木市文化・子育て複合施設
おにクル7階 第1・第2会議室
住所:大阪府茨木市駅前3丁目9-45
茨木市文化・子育て複合施設おにクルの交通アクセスはここから。
JR茨木駅・阪急茨木市駅から徒歩約約10分/茨木市役所隣接
講演 講演①
風土記は史実を語るのか?
ー天皇の巡幸伝説をめぐってー
講師 茨木美行氏(皇學館大学教授)
講演②
「多元史観」から見た風土記研究
〜「縣型(乙類)風土記」の成立時期
講師 谷本茂氏(雑誌「古代に真実を求めて」編集部)
講演③
『風土記』が拓く大和朝廷以前の歴史
講師 正木裕氏(元大阪府立大学理事・講師)
参加費 資料代1000円、大学生500円、高校生以下無料
主催
お問い合わせ 事務局 上田武 ☎080−5331−1507
主催/古田史学の会
協力/市民古代史の会・京都、古代大和史研究会、和泉史談会他
古代に真実を求めて第28集『列島の古代と風土記』出版記念講演会が2025年10月26日(日)に東京文京区民センターで開催されることとなった。東京講演会のタイトルは「古代日本の王朝交代を語る」。講演者は都司嘉宣氏(元・東京大学地震研究所准教授)と正木裕氏(元・大阪府立大学理事・講師)。とりわけ古田武彦氏の『魏志倭人伝』における侏儒国に関する説を深掘りした「日本書紀の災害記事が示す王朝交代-- 倭人伝の侏儒国の位置」は注目される。
列島の古代と風土記 出版記念講演会
古代日本の王朝交代を語る
<期日>
2025年 10月26日(日)
開場午後1時 午後1時30分開会 午後4時30分閉会
<会場>
文京区民センター 2A会議室
交通アクセスはここから
住所:東京都文京区本郷4-15-14
<報告>
1,日本書紀の災害記事が示す王朝交代
-- 倭人伝の侏儒国の位置
都司嘉宣(元・東京大学地震研究所准教授)
2,『風土記』が拓く 大和朝廷以前の歴史
正木裕(元・大阪府立大学理事・講師)
<参加費>
1000円 定員200名
<問い合わせ>
主催/古田史学の会
協力/多元的古代研究会・古田武彦と古代史を研究する会
問い合わせ ☎075−251−1571(古賀)
「後の者が先になり、先の者が後になる」(マタイによる福音書20章8節)との預言が実現した。本来の出版予定は『東日流外三郡誌の逆襲』が先であり、『非時香菓ー斉明天皇・天智天皇伝説ー』が後のはずであったが、順番が入れ替わった。いずれも待ちに待った書籍である。
『東日流外三郡誌の逆襲』
1990年代、『東日流外三郡誌』は猛烈な中傷キャンペーンの標的となり、「和田喜八郎が偽造した現代の偽書」との烙印を押され、歴史の闇へと葬られた。 しかし実際には偽書派は『東日流外三郡誌』そのものの核心には触れずに、後年に登場した一部文書の不自然な記述や、和田氏の経歴詐称に焦点を当て、それを「戦後最大の偽書事件」とあたかも詐欺事件であるかのように喧伝したのが真相である。 そもそもこの“事件”には被害者などまったく存在しないのである。あったとすれば彼ら──売名欲と歪んだ正義感にかられた三流新聞記者や自称古代史家や三流ライターが盲目的に寄りかかる「歴史」──それも「通説」というものにすぎない。 本書は『東日流外三郡誌』を擁護したために学界から追放された歴史学者古田武彦の衣鉢を継ぐ古田史学会の面々による24篇の論考と、同会を代表する古賀達也と八幡書店社主武田崇元との対談を収録したものである。
【内容】
「壁の外」に歴史はあった!
学界は長く、この書を「偽書」と断じてきた。
笑い罵り語る価値すらないと切り捨ててきた。
だが、それでも足を止めなかった者たちがいる。
北の果て、語部の記録に宿った“もう一つの日本”。
ーーそれは封じられた真実か。それとも、壮大な叛逆か。
いま、禁忌の書は再び開かれる。
すべては、壁の内側に飼い慣らされた歴史を打ち壊すために。
『東日流外三郡誌の逆襲』
古賀達也=編 A5半
並製 ソフトカバー 400頁
並製 ソフトカバー 400頁
3,960円(本体3,600円+税10%)
1990年代、『東日流外三郡誌』は猛烈な中傷キャンペーンの標的となり、「和田喜八郎が偽造した現代の偽書」との烙印を押され、歴史の闇へと葬られた。 しかし実際には偽書派は『東日流外三郡誌』そのものの核心には触れずに、後年に登場した一部文書の不自然な記述や、和田氏の経歴詐称に焦点を当て、それを「戦後最大の偽書事件」とあたかも詐欺事件であるかのように喧伝したのが真相である。 そもそもこの“事件”には被害者などまったく存在しないのである。あったとすれば彼ら──売名欲と歪んだ正義感にかられた三流新聞記者や自称古代史家や三流ライターが盲目的に寄りかかる「歴史」──それも「通説」というものにすぎない。 本書は『東日流外三郡誌』を擁護したために学界から追放された歴史学者古田武彦の衣鉢を継ぐ古田史学会の面々による24篇の論考と、同会を代表する古賀達也と八幡書店社主武田崇元との対談を収録したものである。
【内容】
第1部 真実を証言する人々
第2部 偽作説への反証
第2部 偽作説への反証
第3部 資料と遺物
第4部 和田家文書から見える世界
巻末特別対談
武田崇元 VS 古賀達也「東日流外三郡誌の逆襲」
武田崇元 VS 古賀達也「東日流外三郡誌の逆襲」
和田喜八郎さんとは1970年代からのつきあい。怪しい人だよ。平気でちゃらんぽらんを言う。そんなことは、偽書派の連中よりもわしがいちばんよく知っている。巻末対談ではこれまで伏せていた話をすべてぶち撒けた。その上で田山花袋とプロト『東日流外三郡誌』、石塔山の原風景と幻の天池、津軽埋蔵金とM資金など、新たな事実を繋ぎあわせながら『東日流外三郡誌』の謎の核心と今後の研究の方向性を語っているのでぜひお読み頂きたい。人事なポイントを一つだけ言っておきます。市浦村から最初の『東日流外三郡誌』が刊行されてはじめて和田さんに会ったわけだが、和田さん、柳田國男の『石神問答』にアラハバキ神が出てくるなんてまったく知らなかったし、各地でアラハバキが門客神として祀られてることも知らなかった。そもそも誰もそんなもん知らなかった。わしだって知らんかった……じゃあ『東日流外三郡誌』の荒吐神のソースは何なのかということだ。(弊社社主・武田崇元)
https://www.hachiman.com/smartphone/detail.html?id=000000000506
https://www.hachiman.com/smartphone/detail.html?id=000000000506
四国をメイン舞台とする歴史小説『非時香菓-斉明天皇・天智天皇伝説-』が発刊された。読んでる途中の知人も「松山じゃなくて西条の方なんですね」と感想を語ってくれた。
「熟田津(にぎたつ)」の比定地1つ取っても、地元の伝承を数多く拾い上げた多元的歴史観によるこの小説は、通説とは一味違う。そしてネタバレになりそうだが、斉明天皇が土佐国へ向かうストーリー展開は従来説に一石を投じそうだ。
斉明天皇の朝倉橘廣庭宮は通説では福岡県朝倉市に比定されているが、伊予朝倉説、土佐朝倉説などもあって、考古学的出土物や伝承の有無など総合的な根拠によって論じられなければならない。土佐朝倉説については『南路志』などにも記録があるところだが、愛媛県側の史料にも斉明天皇や天智天皇の土佐国下向について記述されているという。
また、愛媛県に「紫宸殿」地名があり、高知県には「内裏」地名が存在する。そして高知県最古の古代寺院跡である秦泉寺廃寺近くに天智天皇のミササギ(御陵)とされる伝承も残されており、熊野十二社神社に現存する「斎明六年(660年)棟札」のことも、しっかり小説に取り込まれている。
そして小説のタイトルにもなった「非時香菓(ときじくのかくのみ)」。牧野富太郎博士は否定しているが、一般的には橘とされており、その原生林が土佐市松尾山に残されている。単なる空想小説でなく、古代史を紐解く上で多くの示唆が与えられる内容となっている。
郁朋社 ikuhousha
「熟田津(にぎたつ)」の比定地1つ取っても、地元の伝承を数多く拾い上げた多元的歴史観によるこの小説は、通説とは一味違う。そしてネタバレになりそうだが、斉明天皇が土佐国へ向かうストーリー展開は従来説に一石を投じそうだ。
斉明天皇の朝倉橘廣庭宮は通説では福岡県朝倉市に比定されているが、伊予朝倉説、土佐朝倉説などもあって、考古学的出土物や伝承の有無など総合的な根拠によって論じられなければならない。土佐朝倉説については『南路志』などにも記録があるところだが、愛媛県側の史料にも斉明天皇や天智天皇の土佐国下向について記述されているという。
また、愛媛県に「紫宸殿」地名があり、高知県には「内裏」地名が存在する。そして高知県最古の古代寺院跡である秦泉寺廃寺近くに天智天皇のミササギ(御陵)とされる伝承も残されており、熊野十二社神社に現存する「斎明六年(660年)棟札」のことも、しっかり小説に取り込まれている。
そして小説のタイトルにもなった「非時香菓(ときじくのかくのみ)」。牧野富太郎博士は否定しているが、一般的には橘とされており、その原生林が土佐市松尾山に残されている。単なる空想小説でなく、古代史を紐解く上で多くの示唆が与えられる内容となっている。
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【新刊のご案内】
『非時香菓(ときじくのかくのみ)-斉明天皇・天智天皇伝説-』(白石恭子著)
倭国朝廷から大和朝廷へ、歴史は大きく舵を切った。 無量寺縁起(由来旧記)によれば、寺は白鳳時代に開創。斉明天皇が下向時に朝倉に三カ月逗留したという。愛媛・今治に伝わる古代伝承から新たに歴史を紐解いた意欲作。読めば『日本書紀』の真の意味がよく分かる。
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2025年、今年も6月30日がやって来た。毎年雨模様となることが多いが、3日前に梅雨明けとなり、本格的な夏到来。今日は高知県では「輪抜け様」と呼ばれるお祭りの日である。一般的には「夏越の大祓」などと呼ばれる。
県外では、愛媛県松山市のように同じく6月30日に開催しているところもある。しかし本来は陰暦の6月30日に行う行事であり、伝統を重んじて陽暦の7月に執り行っているところもあるようだ。香南市香我美町の浅上王子宮なども、毎年7月21日頃に開催しているとのこと。
今年は朝ドラ『あんぱん』効果もあって、注目はやはり大川上美良布神社だろうか。アンパンマンミュージアムに近く、やなせたかしの幸運十二支お守りもテレビで紹介された。

今年は朝ドラ『あんぱん』効果もあって、注目はやはり大川上美良布神社だろうか。アンパンマンミュージアムに近く、やなせたかしの幸運十二支お守りもテレビで紹介された。
昨年は珍しく日曜日であったが、今年は「月曜、学校休まんでー(Monday)」。出店目当ての生徒らは放課後からの参詣を楽しみにしているので、塾キャンセル界隈多発警報が出そうだ。
輪抜け様で穢れを祓い落とすなど、ナンセンスと考える人もいるかも知れないが、パソコンやスマホもキャッシュがたまってくるとメモリが圧迫されて動きが鈍くなってくる。そんなときはクリーンアップして本来のパフォーマンスを取り戻すようにする。そんなものなのかもしれない。
輪抜け様で穢れを祓い落とすなど、ナンセンスと考える人もいるかも知れないが、パソコンやスマホもキャッシュがたまってくるとメモリが圧迫されて動きが鈍くなってくる。そんなときはクリーンアップして本来のパフォーマンスを取り戻すようにする。そんなものなのかもしれない。
参考までに夏越の祓「輪抜け様」実施神社一覧を紹介しておく。年々グレードアップしてきており、正確でないところもあるかもしれないが、役立ててもらえたら幸いである。
夏越の祓「輪抜け様」実施神社一覧
<神社名> <現住所>
土佐神社 高知市一宮しなね2丁目16−1
朝倉神社 高知市朝倉丙2100−イ
石立八幡宮 高知市石立町54
出雲大社土佐分祠 高知市升形5-29
潮江天満宮 高知市天神町19-20
多賀神社 高知市宝永町8-36
小津神社 高知市幸町9-1
郡頭神社 高知市鴨部上町5−8
三所神社 高知市神田358−1
高知大神宮 高知市帯屋町2丁目7−2
高知八幡宮 高知市はりまや町3丁目8−11
仁井田神社 高知市仁井田3514
大川上美良布神社 香美市香北町韮生野243
八王子宮 香美市土佐山田町北本町2-136
山内神社 高知市鷹匠町2-4-65
若宮八幡宮 高知市長浜6600
愛宕神社 高知市愛宕山121-1
薫的神社 高知市洞ヶ島町5-7
鹿児神社 高知市大津乙3199
清川神社 高知市比島町2丁目13−1
天満天神宮 高知市福井町917
本宮神社 高知市本宮町94
多賀神社 高知市宝永町8−36
掛川神社 高知市薊野中町8-30
六條八幡宮 高知市春野町西分3522
仁井田神社 高知市北秦泉寺
熊野神社 南国市久礼田2213
剱尾神社 南国市浜改田2465
椙本神社 吾川郡いの町大国町
三島神社 土佐市高岡丁天神
久礼八幡宮 高岡郡中土佐町久礼
賀茂神社 須崎市多ノ郷甲1780
賀茂神社 須崎市多ノ郷甲1780
不破八幡宮 四万十市不破
常栄神社 四万十市具同8712番
5月3日は「れきみんの日」。入場料が無料になることもあり、一年ぶりに高知県立歴史民俗資料館を訪れた。この日は1Fの展示関連企画のミュージアムトーク(担当職員による展示解説)があり、一人で見ただけでは分からないことを教えていただき、大いに勉強になった。
戦国時代、京都から現在の高知県四万十市に移り住んだ公家の一条氏。これまではあまり関心が持てなかったが、一条家・西園寺家の足跡を辿る企画展「西南四国の中世社会と公家」によって新たな視界が開けてきた。
唯一、気になっていた疑問は、伊予橘氏を押しのけてまでも、どうして西園寺家が南予の地を欲しがったのかということ。鎌倉時代に大きな権力を持っていた公家、一条家と西園寺家。両家は、西南四国に移り住み、現在の高知の幡多地方に一条家が、愛媛県の南予地方に西園寺家がそれぞれ有力者として戦国時代まで権勢を誇った。一見、辺境の地とも思える西南四国に、なぜ一条家・西園寺家がやってきたのか。彼らが、当時この地に求めたものとは? その足跡を辿る企画展であり、初公開の貴重な史料群も県外から数多く取り寄せられていた。
唯一、気になっていた疑問は、伊予橘氏を押しのけてまでも、どうして西園寺家が南予の地を欲しがったのかということ。鎌倉時代に大きな権力を持っていた公家、一条家と西園寺家。両家は、西南四国に移り住み、現在の高知の幡多地方に一条家が、愛媛県の南予地方に西園寺家がそれぞれ有力者として戦国時代まで権勢を誇った。一見、辺境の地とも思える西南四国に、なぜ一条家・西園寺家がやってきたのか。彼らが、当時この地に求めたものとは? その足跡を辿る企画展であり、初公開の貴重な史料群も県外から数多く取り寄せられていた。
県立歴史民俗資料館・松田直則副館長は次のように説明する。
「一条家は元は九条家。九条道家氏は京都の東福寺をたてるほどの力を持った公家。その四男実経が一条家を継いだ。その子孫が後に土佐に下向する教房。そして西園寺家なんですけど、西園寺公経が鎌倉時代非常に力を持った公家だということがわかってきた。どれだけすごかったかというと平清盛をしのぐ力を持っていたと言われています。この方がどうしても伊予(愛媛)の宇和荘を欲しかった」
伊予へと移った西園寺氏は、現在の愛媛県西予市にある松葉城を居城にしている。
「松葉城から拾われたもの中国の青磁の製品が出てまして、青磁の製品がたくさん出てくること自体もですね、非常に西園寺氏が力を持ってて貿易にも関与してたことがわかってくる。なかでもこれは風炉という茶道具。戦乱の時期でも優雅なひとときもあったということですね」
一方、土佐に移った一条教房はまず、四万十市の香山寺のふもとにある坂本遺跡を拠点にしたと言われている。
「建物の屋根に瓦をふいている。瓦は持ってきたんじゃなくてこの場所で瓦窯を作ってそこで焼いたものをふいている。瓦窯を工人を呼んで作るだけの力をもっていたのは、やはり一条氏四国の中では中世寺院、建物に瓦をふいているのはこの場所だけなんですね。だからそれだけ一条氏の力っていうのはすごかったのかなと思ってます」
一条教房は、四万十川や中筋川をうまく使って土佐の上質な材木を京に送るなど、貿易の重要拠点にして幡多地方を治める基盤にしていきた。
「土佐清水市の加久見というところにある加久見氏という人がいた遺跡。今でも中世的な景観が残ってる。この遺物を見ても、かなり有力な方がこの場所にいたことが分かる。加久見氏というのは、実は一条教房の奥さんの出たところ加久見氏の姻戚関係も含めて、徐々に有力な国衆(地元の有力者)を傘下において一条氏は力を伸ばしていった」
太平洋に面する土佐清水市もおさえた一条氏。海外との貿易も行うなど幡多地方を様々なものが流通する要衝へと発展させた。
「こちらは仏飯器。ここで注目されるのは、外面に天文年間とか堺とかですね銘が刻まれていることで、これから何が読み取れるかというと堺(大阪)の商人が、金剛福寺(土佐清水市)と頻繁に往来してたことがわかる。やはり土佐清水市から堺商人が東南アジアの方へ行っている。やっぱりそれは一条氏に庇護されているんじゃないかとそういうことも読み取れる製品である」
一条氏、西園寺氏が西南四国に求めたものとは何か。その答えが九州にあると言う。

「長崎県のですね、松浦市っていうところと彼杵郡のところなんですけども。実は松浦市を西園寺家がおさえてるんですね。彼杵郡は九条(一条)家がおさえているということです。長崎県の大事なところを西園寺と九条(一条)がおさえてるってことは西南四国とよく似てるんですね。なぜかっていうことなんですけども、東アジアを見ていた。東アジア見据えて重要拠点をおさえていた」
そこからは中国だけでなく、朝鮮半島の物も出土している。海上交通の要衝を押さえるというストーリーでの企画展示を試みたと語っていた。これまでの公家のイメージを一新させるような展示の数々であった。
こうなると、5月6日の歴史研究家・東近伸氏による講座「一条教房の幡多荘下向と在地勢力ー『大乗院寺社雑事記』に見る幡多荘直務支配の様相ー」も気になるところだ。
2Fは「長宗我部展示室」。近年は石谷家文書による「本能寺の変四国説」も定着してきているように感じられた。
3Fの「土佐の歴史と文化を知る」総合展示室は原始・古代から現代に至るまでの高知県の歴史・くらし・文化を、考古・歴史・民俗・美術工芸の資料によって総合的に紹介している。(一部を除き、個人利用の写真撮影OK)
主な展示構成
<原始・古代>
狩りに生きる旧石器時代・自然と生きた縄文時代
弥生稲作の世界
古墳の造られた時代
古代の土佐
<中世>
中世の土佐
<近世>
藩政のはじまり
近世の産業
維新の胎動
土佐藩の藩窯 尾戸(おど)焼
<近・現代>
近代化と戦争
<民俗>
まつりと祝い
死者を送る
神と妖怪
海に生きる人びと
山にくらす人びと
高度経済成長の時代
高知県のイメージ
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大学時代に『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著)を読んで、夜寝られなくなりました。古代史に関心を持つようになったきっかけです。
算数・数学・理科・社会・国語・英語など、オールラウンドの指導経験あり。郷土史やルーツ探しなど研究を続けながら、信頼できる歴史像を探究しているところです。
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